今回は、前回(『アミラーゼ遺伝子と体質の関係』)の続きになりますが、少し別の角度から見てみることにしたいと思います。アミラーゼ遺伝子は、アミラーゼという酵素(タンパク質)のアミノ酸配列をコードしている遺伝子だという以外に、生物学的に非常に面白くて、例えば進化の問題を解析するためにも重要な指標として重宝されています。
例えば、雀(スズメ)という鳥は、米が大好物です。しかし、人間が稲作を始める前には何を食べていたのかと言えば、虫や植物の種が主で、その他にも食べられそうなものがあれば副食的に食べていたのだと考えられ、いわゆる雑食性の小鳥だということになります。
その後、日本に稲作が伝わってきて、各地でイネの栽培が始まってからは、スズメは他の小鳥とは少し違って、民家の周囲に集まってくるようになりました。因みに、小鳥の中には、人里離れた森の中でしか見られない種もいますので、そのような鳥と較べると、スズメがいかに民家の周囲が好きなのかが分かります。このようなスズメの習性は、スズメたちが集まって方針を決めたというよりは、生存戦略の一手法として自然的に生じたのでしょう。
稲作が始まると、稲穂が実り始めてくれば、イネの茎にとまって米を啄(ついば)むことができます。また、収穫中や収穫後には、その作業現場の周辺には米が少し散らばっています。昔は全てが手作業でしたから、作業中にこぼれることが多く、スズメたちはそれを期待して集まってきたわけです。また、米は食べるだけでなく、接着剤や、着物の糊付けなどにも使われました。糊付けするために、ご飯を糊状にしたものを縁側などに置いておくと、スズメがやってきて、それを啄むことがあったでしょう。ただ、それを1羽のスズメが全部食べてしまうなどということは、スズメの体格ないし胃袋の大きさから考えても到底不可能なことでしょう。しかし、それを食べられたとして怒ってスズメの舌を切ってしまったおばあさんの話がありますが、スズメが食べたくらいの量なら、また作ればよいじゃないですか。そしてまた、可愛いスズメに少しぐらいあげてもよいじゃないですか…。
人間がスズメの被害に遭う…、ということは今もあるわけで、「害鳥」などという汚名を着せられている場合もありますが、そうやってスズメが米を食べる機会が増えるにつれて、米を消化する能力が高まっていきました。もちろん、それは何世代もかけて徐々に高まっていくことになります。遺伝という現象の基本的な法則としては、親の遺伝子を引き継ぐという目的がありますので、炭水化物の消化能力を遺伝子レベルで高めるということは、一般的には非常に難しい課題になります。その中で、やり易い方法の筆頭に挙げられるのが、該当する遺伝子をコピーして染色体上に複数個持つ方法です。
おそらく、稲作が開始される前のスズメは、デンプンを消化するためのアミラーゼの遺伝子を、染色体上に1セット(相同染色体のそれぞれに1個ずつ)持っているだけであったと考えられます。しかし、稲作が始まって米を沢山食べられるようになってからは、その遺伝子が2倍、3倍、4倍…というふうに、コピーによって増やされていったのだと考えられます。即ち、現代のスズメの特徴は、稲作を始めた人類が作り出したものであると言えるわけです。このことを思うと、スズメがどの鳥よりも愛らしく感じるのではないでしょうか…。そして稲作が減ってきた現在、スズメはとうとう絶滅危惧種になってしまいました。皆さま、スズメを見かけたなら、優しくしてあげてください。
同様の現象が犬(イヌ)にも見られます。かなり詳細な研究が行われていまして、ごく基本的な内容を紹介しておきます。なぜ詳細な研究が行われているのかと言えば、イヌの起源に関する問題をクリアしたいからです。「生物進化において、イヌはいつ頃にオオカミから分かれたのか?」という命題を解くためです。そして、目を付けられたのが、膵臓から分泌されるアミラーゼをコードする遺伝子であるAMY2のコピーの数です。
掲載した図(高画質PDFはこちら)の上段の少し右寄りにグラフを引用しました。横軸はAMY2のコピー数なのですが、相同染色体(父方からと母方から受け継いだ、ペアになっている染色体)に存在しているAMY2の1セットを「1」としてカウント(Diploid copy number)しています。縦軸は、それを持っている個体の数です。例えば、オオカミは35頭が調査されて、その全てが「1(セット)」であった、ということです。
一方、様々な種類のイヌ136頭を調査したところ、AMY2のコピー数は、少ないものは「4(セット)」、多いものは「29(セット)」であり、平均的には「10数セット」持っていることが分かりました。
オオカミとイヌの祖先が進化の過程において分かれたのは何万年というオーダーなのですが、イヌの祖先が地球規模で、何年前にどのように細分化していったのかを突き止めたい場合に、その地域に棲むイヌのAMY2のコピー数を調べることで、色々な手がかりが得られます。詳細は割愛しますが、稲作などの農耕を始めた地域に住んでいたイヌは、DNAを調べるとAMY2の多数のコピーが見られます。また、コピー数が多いほど、米などの炭水化物を多く与えていた地域のイヌであることが分かります。
なお、図の右側中段に小さなグラフを引用しましたが、左側は、オオカミとイヌの膵臓におけるアミラーゼのメッセンジャーRNAの発現レベルを示しています。当然のことのように、AMY2の数(コピー数)が多いほど、当該RNAの発現レベルが高くなっています。
右側のグラフは、オオカミとイヌの血清におけるアミラーゼ活性が調べられた結果です。血清中のアミラーゼの濃度は臨床検査でも用いられますが、それについては別記事とさせていただきます。ここでは、オオカミとイヌとのアミラーゼ活性の差を見て頂きたいのですが、これも同様に、AMY2コピー数を繁栄した結果になっています。
総じて言えば、オオカミは肉食動物として進化してきたのですが、途中で人間と仲良くなったイヌの祖先が現れ、その個体が人間に飼われているうちに、多くの地域では穀物を中心とした炭水化物食が与えられ続けました。そのため、イヌの方もそれに合わせて炭水化物の消化能力を高めるためにAMY2のコピー数を増やしてきた、というシナリオになります。
因みに、猫(ネコ)の場合も、トラやライオンに較べるとアミラーゼの活性が強いようなのですが、飼いネコの場合でもネズミを獲って食べたり、魚を盗んで食べたりしてきましたから、イヌほどのAMY2増幅は見られないようです。
以上、人間と密接に関わってきたスズメとイヌのアミラーゼ遺伝子の例を見てきましたが、彼ら(彼女ら)は、人間の活動の結果として今の姿があります。スズメの場合、近年は稲作が減ってきたため、スズメは満足に食べられず、今では絶滅危惧種になってしまいました。一方、イヌはヒトが愛情を持って保護していて、市販のドッグフードには20~40%程度の炭水化物が配合されています。今やイヌは、完全な肉食動物には戻れない遺伝子になってしましました。その特徴を踏まえて、そもそも自分たち人類が作り出した種であるため、責任を持って面倒を見なくてはならない動物であると思う次第です。