牛乳の問題を採り上げてみることにしました。なお、酪農を愛し、良い牛乳を供給しようと日夜努力されている生産者の方々に対しては誠に心苦しい限りなのですが、やはり自然の摂理を正しく認識していただき、将来的なことを再考していただければ…という思いでいますので、何卒ご容赦いただきたいと思います。
牛乳の人体に対する影響については古くから追及されており、非常に多くの研究報告が存在しています。その中には、酪農家や乳製品を扱う事業者からの依頼による研究結果も多く存在していて、有利な結果になるようなバイアスが掛けられているものもあります。従いまして、表面的には、一体何が正しいのか、どちらが正しいのかを判断することが難しくなっていることは否めません。
また、学校教育の現場では、牛乳に対する否定的な内容は教えられません。なぜなら、そのようなことを子どもたちに伝えたならば、その後は給食に牛乳を出せなくなってしまうからです。栄養士や管理栄養士などを養成する大学においても、卒業生が学校現場に携わることもありますから、牛乳に対する否定的な内容は栄養学の教科書にも掲載されていません。そのような結果として、「牛乳は凄く良いものだ」と思っている人の割合が非常に高くなっているわけです。
牛乳の影響は、どのような食生活をしているかによっても多少変わってくるでしょう。例えば、農作物が得られないような高地や乾燥地帯で生活しようとした場合、かろうじて生えている草を食べて生きられる山羊や牛を飼い、そのミルクを戴くという場合、そのミルクは貴重な栄養源となるはずです。一方、野菜や穀物、魚介類などを豊富に得られるような地域では、草食動物のミルクを戴くという行為の必要性は、無いに等しいと言えるのではないでしょうか。
冒頭に、自然の摂理という言葉を使いましたが、牛乳は牛の赤ちゃんが飲むためのものですので、全てが牛の赤ちゃんの生理的条件に合わせたものになっています。その証拠に、ヒトの新生児に牛乳を与えることは禁忌であって、あくまで母乳を与えることが必須条件です。ヒトと牛とは体の仕組みが随分と異なりますので、各種の成分比率も随分と異なっていて、もしヒトの赤ちゃんに牛乳を飲ませてしまうと様々なトラブルを引き起こすことになります。
では、幼稚園児や小学生なら良いのか…ということですが、そもそも、その年代は完全に離乳した年代ですので、例えば乳糖を分解する酵素も、遺伝子レベルでその発現を抑制しようとしている時期です。それにもかかわらずミルクの類が流れ込んでくると、体としては予定が狂ってしまうことになり、良いわけがありません。
離乳期を過ぎた子どもから大人にかけて、ミルク、とりわけ牛のミルクを飲んだ場合に生じる副作用を、掲載した図(高画質PDFはこちら)の右側にまとめて書いておきましたが、ここにも箇条書きのまま書いておきます。
<牛乳の副作用>
【カルシウムやリンに対してマグネシウムが少ない】
→丈夫な骨は作られない。他のミネラルの吸収が抑制される。
【女性ホルモンが高濃度に含まれている】
→男女とも、体内の性ホルモン比率が変化して性成長に異常をきたす。ホルモンバランスの乱れによって他の疾患にも罹りやすくなる。
【各種の細胞増殖因子が高濃度に含まれている】
→将来における発がんリスクが高まる。
【α-カゼインの含有量が多い】
→中間分解産物がアレルギーや炎症を助長する。消化不良を起こす。
【乳糖が多い】
→下痢や消化不良を起こす。
【ω3系の脂肪酸の比率が小さい】
→各種のアレルギーや炎症が増加する。
【飽和脂肪酸の比率が高い】
→心血管系疾患のリスクが高まる。
【食物繊維が含まれていない】
→腸内細菌叢が悪化する。
【抗生物質、農薬、重金属、その他の環境汚染物質の濃度が高めである】
→子どもの健全な成長が妨げられる。将来的に種々疾患リスクが高まる。
【本来は牛の赤ちゃんが飲むものである】
→ヒトの子どもが飲んだ場合、その不自然さゆえに、まだまだ明らかにされていない弊害が生じる可能性がある。
牛乳を多く飲むと、以上のような弊害が生じることになるのですが、そのようなものをなぜ学校給食に出すのか?という問題になるわけです。図の左側に載せましたように、農林水産省の先導によって牛乳の需要を増やすための対策が毎年のように行われています。そして、最も大きな市場が学校給食だというわけです。従いまして、牛乳が子どもたちにとってどうなのかよりも、牛乳の捌(は)け口として子どもたちがターゲットになっている、ということです。
「カルシウムの貴重な補給源です」などとコメントする栄養関係者は、上述した現代栄養教育の犠牲者なのであって、特にリン/カルシウム/マグネシウムの比率などのことは頭に無いのだと思われます。
このような現状を変えていくためには相当なエネルギーが必要だと思われますが、一人でも多くの人が改善を求めるようになればと思うところです。