早い所ではタケノコ(筍)の収穫が始まりました。田舎ではそこら中に竹林がありますから、私が子どもの頃は、4月中はほぼ毎日ほどタケノコを食べていたように思います。そして、その頃ではタケノコには栄養素が少ないと言われていましたので、祖父母から「タケノコばかり食べずに他のおかずも食べなさい」と言われたものです。しかし、栄養学はそれなりに進歩しました。
さて、今日の話題の中心は、タケノコに多量に含まれる〝チロシン〟というアミノ酸のお話です。アミノ酸と言えば、タンパク質を構成する物質であると共に、単独で神経伝達物質として使われていたり、その材料になっていたり、何種類かのホルモン(ペプチドホルモン)を構成する物質であったり、ある種のホルモンの前駆物質になっていたり、直接的なエネルギー源になっていたりする、非常に用途の広い物質です。そして、「生命の誕生はアミノ酸から」と言えるほど生命にとって根源的な物質でもあります。また、生化学的な特徴は、アミノ基(-NH2)とカルボキシ基(-COOH)の双方を持つことであり、それによって互いが連結しやすく、巨大なタンパク質分子を作ることができます。
そのように、生命にとっては無くてはならない物質群なのですが、生物進化の途上において、自分で合成できない種類のアミノ酸が幾つも出てきてしまいました。例えば、タンパク質を構成するアミノ酸は20種類だけなのですが、そのうちの9種類のアミノ酸を合成する能力を失ってしまいました。いやぁ、ヒトになるまでに、色々なものを随分と失ったものです。栄養素で言えば、他にはビタミンを合成する能力や、必須脂肪酸であるリノール酸やα-リノレン酸を合成する能力も失ってしまいました。そして、失ったものは他から頂くようにしなければ生きていけない体になったわけです。
アミノ酸のうち、自分で作れなくなった9種類は〝必須アミノ酸〟と呼ばれています。このネーミングは誤解を生みやすいのですが、「体外から取り込むことが必須」だということです。そのうち、今日のお話に最も深く関係するのが〝フェニルアラニン〟という必須アミノ酸です。チロシンとの関係は、体内でチロシンを合成するときに、その前駆物質となるのがフェニルアラニンです。言い換えれば、口から放り込んだり腸内細菌が作ってくれたりしたフェニルアラニンのうち、その何割かがチロシンへと変換されて使われることになります。
そして、チロシンから作られる物質として代表的なものは、掲載した図(高画質PDFはこちら)の右半分に挙げておいたのですが、神経伝達物質として使われるドーパミン、神経伝達物質やホルモンとして使われるノルアドレナリン、ホルモンとして使われるアドレナリン、色素として使われるメラニン、甲状腺ホルモンのトリヨードチロニン(トリヨードサイロニン、T3)などです。これらが充分に合成されなければ、ヒトとしての正常な活動が出来なくなります。そうならないように、直接的な前駆物質だと言えるチロシンは、更にその前駆物質であるフェニルアラニンから変換され続けているわけです。
しかし、フェニルアラニンそのものは体内で合成できませんから、場合によっては不足する可能性もあるわけです。もちろん、何らかのアミノ酸が不足気味になってくると、骨格筋のタンパク質が分解されて、血中に流され、不足している部位へと運ばれます。しかし、あまりに急激かつ大量の不足が生じた場合には、骨格筋からの供給が間に合わなくなります。そのような場合、上述の神経伝達物質やホルモンが不足気味になります。その結果として、抑うつ状態になったり、活力が出なくなったり、全身のエネルギーレベルが低下したり、白髪が増えてきたりすることになります。
必須アミノ酸であるフェニルアラニンは、その何割かがチロシンの前駆物質として使われますが、それ以外はフェニルアラニンとしてタンパク質の構成要素になります。タンパク質は骨格筋だけでなく、体内で働く膨大な種類の酵素もタンパク質です。酵素は、作られ、役割を果たし、直ちに分解され、また作られ直すという、目まぐるしいサイクルで動いています。その構成要素の一つであるフェニルアラニンが不足すれば、それだけで目的の酵素を満足に作れなくなりますから、タンパク質の構成要素としてのフェニルアラニンも非常に大切です。即ち、チロシンを作ることだけに注力するわけにはいかないのです。
だからこそ、フェニルアラニンの不足による弊害が出現するのですが、これを解消する方法としてチロシンそのものを体外から補給する方法があります。即ち、チロシンを体外から補給すれば、フェニルアラニンの消費が減ることになるわけです。因みに、殆どのアミノ酸を含むプロテインを補給するのも方法の一つですが、プロテインの消化・吸収の手間と、血中アミノ酸バランスを保つための、特定アミノ酸の他のアミノ酸への変換作業にエネルギーを使いますから、フェニルアラニンが不足しているのであれば、フェニルアラニンを補給することと、その下流に当たるチロシンを補給することが、もっとも素早くて適切な問題解決法になるわけです。
では、具体的にはどうするのが良いのか…という点ですが、タケノコを食べることです。タケノコの可食部100g中には、チロシンが約180mg含まれているとされています。しかも、フェニルアラニンも約100mg含まれているとされています。この数値は、例えば肉の中のタンパク質としてチロシンやフェニルアラニンの割合が○○mgというのではなく、遊離したアミノ酸として存在していることが驚異的なのです。
掲載した図の左下には「高等植物におけるリグニンの生合成経路」を引用させていただきました。タケノコは比較的軟らかいですが、竹になると非常に硬くなるのは、木質素であるリグニンが合成されて、それがセルロースやヘミセルロースの線維を固定するからです。リグニンは、アミノ酸としてチロシンとフェニルアラニンが前駆物質として使われて合成されていくのですが、特にタケ(イネ科)の場合はチロシンの割合が非常に多いということです。更に、タケノコは生長が非常に速いため、リグニン化を急速に進めなければなりません。そのため、必要量をその直前に合成していたのでは間に合わないため、早いうちから合成しておいて軟らかいタケノコに充満させているのです。そのため、タケノコを軽く湯がいただけで放置しておくと、チロシンが結晶となって析出してくるわけです。チロシンの含有量が如何に高いかが理解できる現象です。
以上をまとめると、タケノコを食べればチロシンを多く摂ることが出来ると共に、チロシンの前駆物質であり必須アミノ酸でもあるフェニルアラニンをも多く摂ることが出来るということです。言い換えるならば、タケノコを食べることによって、フェニルアラニン不足による抑うつ状態が解消され、集中力が高まり、エネルギーレベルや活力の低下が解消され、メラニン生合成不足による白髪の増加が解消される、ということになります。更に、繊維質の割合も多いですから、腸内環境の面からも健康度の向上が見込まれます。思い返せば、5月病にならずに済んだのはタケノコのお陰と言えるかもしれません。