「酵素」という語が一人歩きし、多くの人に〝酵素に対する誤った知識〟が与えられています。更に、GoogleのAIまでもがWeb上に(いわゆる、ネット上に)氾濫している誤情報を学習し、あたかも正しいことのように誤情報を表示します。これはいけません。
「○○酵素(株)」などの企業の方々には誠に申し訳ないのですが、正しいことを伝えておかなければなりませんので、ご容赦願いたいと思います。
例えば、検索エンジンにキーワードとして「酵素」を入力して検索結果を表示させますと、実に驚くべき事実が判明します。
1番目に表示されたサイトを見てみると「食べ物に含まれる食物酵素には、消化酵素による分解をサポートする役割があります」などという、もっともらしい誤情報が書かれていました。なお、この「サポート」という言い回しは薬機法に引っかかりにくいからなのか頻用されていますが、専門家は絶対に使わない軽率な語です。
2番目に表示されたサイトの中を見ると、「麹菌は特に多くの酵素を生み出します。…(それを摂ると)消化のために消化酵素を浪費せず、新陳代謝のために代謝酵素が活用されるのです」などという、意味不明な文言が書かれていました。
3番目に表示されたのはWikipediaによる「酵素」のページで、これにはほぼ正しい学術情報が書かれていました。
4番目に表示されたのは、楽天市場内にある「酵素ドリンク」を売るお店でした。サイトの中を見てみると「酵素を、どんどん体に取り込もう」とか、「消化酵素をサポート」などという文言がありました。
5番目に表示されたサイトの中には「食物酵素(体外酵素)とは、食物の中に元々入っている酵素で、食物を食べることにより私たちが新たに使える様になる酵素。…食物酵素は熱に弱いので加熱された食べ物(動植物)では効力がありません。なので、生野菜や果物から摂ることをおすすめします」という、もっともらしい誤情報が書かれていました。
この後も、まだまだ同様のサイトの表示が続いていきます。
上記のような内容を、検索エンジンのAIと同様に子どもたちが読んで学習したら、その記事を書いた人はどう責任を取るのですか? 学習熱心な学生たちがそれを読み、それが真実だと解釈してしまった場合、それを書いた人はどのように責任を取るつもりなのですか?「会社の方針なので、書かざるをえませんでした…。申し訳ありませんでした」
このような日本の社会は本当に困ったものです。「消化酵素」を習うのは中学校2年生の理科の授業で、高等学校では「代謝に関わる酵素」について少し詳しめに習うようなのですが、その内容が上記のような商売優先の文言にて上書きされてしまうことになるわけです。この現状を放置すべきではありません。
この際ですから、口から放り込んだ「食物酵素」が、その後にどうなっていくのかを書いておきます。そもそも、「食物酵素」などという学術用語はありません。いわゆる〝俗語〟です。従いまして、ネット上を見ていて「食物酵素」という文言を見つけたならば、ど素人が書いている信用できないサイトであると判断し、その先へと読み進めて行くことは避けてください。
因みに、このことを鋭く指摘している学術論文がありましたので、先にその中の文章を引用しておきます。これは、福岡工業大学環境科学研究所所報(2018)に掲載されている『いわゆる「酵素食品」の有用性評価 』というタイトルの論文の「背景」の部分に書かれている文章です。
「俗に言う食物酵素は野菜や果実などの生鮮食材に豊富に含まれるが、食物酵素の摂取により消化酵素を補給することで、栄養素の消化促進や代謝酵素の節約などの効果があり、このことが疾病予防となるといった非科学的な情報が散見される。さらに、酵素は一般に加熱処理により失活することから、食物酵素を摂取するには生鮮食材を調理・加工せずにそのまま摂取する必要があるとされているが、そもそも酵素は構造上タンパク質であることから、食物酵素は摂取後に生体内の消化酵素によって分解されるため、食物酵素が生体内でそのまま消化酵素として作用するとは考えにくい。以上のように、一般に認識されている「酵素栄養学」は、専門分野からの知見によると科学的根拠に乏しい内容であるにも関わらず、これを是正しない現状は極めて重大な問題であると考えられる。近年、商品名に「酵素」という用語が用いられている食品(いわゆる「酵素食品」と称する)が多く販売されている。酵素食品は一般に、多種の野菜、果実、穀物などを混合して発酵・熟成させて製造されるため、上述した俗に言う食物酵素が豊富に含まれているとされる。酵素ドリンクと呼ばれる液状や、水などに溶解して飲用する粉末状、サプリメントのような錠剤やカプセル状、ペースト状やゼリー状などの様々な形状が存在する。一般消費者は、前述した「食物酵素の摂取による消化酵素の補給」といった誤った認識の下、これら酵素食品を健康維持・増進に有効であると考えて利用している。さらに、酵素食品の利用により、酸化防止や老化予防、美肌、ダイエット効果などが期待されているが、学術的な報告はない。」というものです。
私が言うまでもなく、上記の文章にて、現代に起きている大問題を納得していただけることと思います。酵素が何であるかを正しく認識している人たちや、生徒や学生に酵素を教える立場の人が、この世に氾濫している「酵素食品」、「酵素ドリンク」、「食物酵素」といったものに対して強い憤りを持っていることが分かります。要するに、せっかく正しいことを指導してきたのに、いとも簡単にそれが乱され、壊されているというわけです。私からもお願いしたいです。子どもや学生たちを惑わせることはしないでほしいのです。
では、口から放り込んだ、いわゆる「食物酵素」が、その後にどうなるかを書いておきます。食物に含まれる酵素には、実に膨大な種類のものがあります。最も多いのは、その食物が植物であっても動物であっても、細胞内で働いている膨大な種類の代謝酵素があります。例えば、ATPを合成するときに働くATP合成酵素、特定の分子にリン酸基を付加するリン酸化酵素、逆にリン酸基を外す脱リン酸化酵素があります。或いは、DNAを合成するときに働くDNA合成酵素や、RNAを合成するときに働くRNA合成酵素があります。或いは、酸化させる各種の酸化酵素、還元させる各種の還元酵素があります。こういうものを挙げていくと、切りがないほど書き連ねていくことになります。
では、食物に含まれているそのような酵素と、人間の消化管内に分泌される消化酵素と、いったいどのような関係があります?酵素商売をされている方々、答えてみてください。
「パパイヤにはパパインというタンパク質分解酵素がありますが…」
では、パパインを口から放り込んだとしましょう。すると、粘液だけで守れなかった口腔内の粘膜上皮細胞のタンパク質の部分が分解され始め、ヒリヒリしてきます。一緒に肉を頬張って噛み始めたとしましょう。どうですか?肉は少しは軟らかくなりましたでしょうか…?
実際のところ、肉が軟らかくなるまでには何十分と噛んでいる必要があるでしょう。普通は無理なので、10秒ほどで飲み込んだとします。すると、肉とパパインは比較的速やかに胃の内部に到達し、胃液の強酸と、胃液に含まれるタンパク質分解酵素であるペプシンによって、せっかくのパパインはすぐに失活し、更に分解が始まります。結局、パパインがあなたにしてくれたことは、口腔粘膜を損傷させてくれたことです。
「「○○ジアスターゼ」という消化酵素の医薬品製剤がありましたよね?」
ジアスターゼというのはアミラーゼの別称なのですが、これをそのまま口から放り込んだとしたら、それは唾液中のアミラーゼの濃度が高まったと同じことになります。ただ、それが胃に入れば上記のパパインと同様、すぐに失活し、やがて分解されていきます。そこで、あの医薬品は、強酸が中和される十二指腸に到達するまで失活しないように、人為的にコーティングされています。ただ、膵臓から分泌されるアミラーゼの量は結構多いですし、他にもα-グルコシダーゼが分泌されます。更に、小腸の上皮細胞からもα-グルコシダーゼが分泌されますし、スクラーゼも分泌されます。従いまして、医薬品として口から放り込める量のアミラーゼ(ジアスターゼ)が腸管内で効力を発揮する程度は非常に少ないわけです。そのため、今では殆ど使われなくなりました。
因みに、ダイコンを食べても、その中に入っているβ-アミラーゼは唾液中のα-アミラーゼとは異なるうえ、胃に入ったときには失活しますので、有効利用したければデンプンと大根おろしを混ぜて、しばらく置いておくしか方法はないです。
そもそも、消化酵素の分泌量は、消化管内に在る未分解物の量によって自動制御されていますので、特殊な病気でない限りは余計なことは考える必要はありません。歯周病患者さんの場合は、唾液中のアミラーゼ(α-アミラーゼ)やα-グルコシダーゼが数倍高まっているという報告がありますので、そのようなものを頑張って高めようと思わないほうが賢明でしょう。
色々と書きましたが、消化酵素についてついてまとめた表を、掲載した図(高画質PDFはこちら)の中央に載せておきましたので、必要に応じてご活用ください。
また、消化酵素に関するごく基本的なことを、図の右端にまとめておいたのですが、その内容をここにも箇条書きのまま貼り付けておきます。
◆〝酵素〟は細胞が必要に応じて作り出すものであり、間違っても体外から補うものではない。
◆ヒトの場合、体内に存在する酵素は代謝酵素と消化酵素に分けることができるが、消化酵素が占める割合は2~4割ほどであり、沢山食べた時ほど増産されることになる。
◆消化酵素は、体外から取り込んだものを吸収可能なサイズまで切断する酵素であり、その多くは単一の分子になるまで切断する。
◆消化酵素の種類や量は、動物の進化の過程において、食べてきた物の種類に適応するように変化してきた。
◆唾液中の消化酵素はアミラーゼが主であり、他のものはごく微量である。
◆胃の中で働く消化酵素は強酸に耐えられるペプシンのみであり、他の酵素を口から放り込んでも胃の中で失活する。
◆本格的な消化は、膵液中の消化酵素が混じりあう十二指腸以降である。
◆多種類のタンパク質分解酵素を産生・放出する膵臓は、自らが消化されないように工夫されている。
◆消化・分化されて生じたもののうち、脂肪酸とグリセロールは腸管上皮細胞の細胞膜に溶け込むようにして吸収されるが、その他のものは水溶性が高いため専用の輸送体によって吸収される。
今回は、既に文字数が多くなりましたので、ここで終わらせていただきますが、必要な事柄につきましては改めて紹介させていただきます。(つづく)