がん総論Ⅰ-第2章 なぜ、がんになるのか ― 細胞が“変身せざるを得なかった理由

がん総論Ⅰ-第2章 なぜ、がんになるのか

 がんとは何か――その正体については、すでに序章と第1章で触れてきました。がんは“異常細胞の暴走”ではなく、細胞が生き延びるために選んだ形態であること。遺伝子変異は原因ではなく結果であること。そして、がん幹細胞は正常な幹細胞と地続きの存在であり、環境が整えば元の姿に戻ること。これらは、がんという現象を理解するための前提です。
 では、ここで改めて問わなければなりません。細胞はなぜ、そこまで追い詰められたのでしょうか。 どのような環境が、細胞を“変身”へと追い込んだのでしょうか。そして、その環境はどのようにして作られるのでしょうか。
 本章では、この根源的な問いに向き合います。がんという現象を“敵”としてではなく、“生命の選択”として理解するためには、細胞が置かれた環境を丁寧に見つめ直す必要があります。細胞は、環境が破綻したときに初めて、がん細胞という形態を選びます。つまり、がんとは「細胞環境の悪化」という一本の線の先にある現象なのです。

■ DNA複製ミスや予期しないDNA切断によって生じた“異常細胞”は、がん細胞にはならない
 まず最初に強調しておきたいことがあります。それは、DNAの複製ミスや、偶発的なDNA切断によって生じた“異常細胞”は、がん細胞にはならないという事実です。多くの方は「DNAが傷つく → 異常細胞が生まれる → それががんになる」という直線的なイメージを持っていますが、これは生命の実態とは大きく異なります。
 私たちの体では、毎日数兆回もの細胞分裂が行われています。その過程で、DNAの複製ミスや、外部刺激によるDNA切断が起こることは珍しいことではありません。しかし、これらの“異常細胞”は、がん細胞へと進むことはありません。なぜなら、免疫システムがそれらを確実に処理する仕組みを持っているからです。特に重要な役割を担っているのが、ナチュラルキラー(NK)細胞です。NK細胞は、体内を常に巡回し、細胞表面の“自己を示すサイン”が乱れた細胞を見つけると、即座に排除します。DNA複製ミスや予期しないDNA切断によって生じた細胞は、この“自己のサイン”が不完全になるため、NK細胞の標的になります。つまり、異常細胞は、がんになる前に静かに処理されているのです。
 この仕組みは、生命が多細胞化した初期から備えてきた、極めて強力な安全装置です。もしこの仕組みがなければ、私たちは日々の生活の中で生じる膨大なDNA損傷に耐えることはできません。逆に言えば、異常細胞ががんになるのではなく、がんとは“異常細胞とはまったく別の理由”で生まれる現象なのです。
 では、がん細胞とはどのような細胞なのか。それは、DNAの傷が原因で偶然生まれた細胞ではなく、細胞が「このままでは生きられない」と判断したときに、自ら選び取る“生存形態”です。この視点を最初に押さえておくことで、読者は「がん=異常細胞」という誤解から解放され、次に続く“細胞が変身せざるを得なかった理由”を、より深く理解できるようになります。

■ 細胞は環境を読み取り、自らの運命を決めている
 細胞は、ただ受動的に生きているわけではありません。細胞は常に周囲の環境を読み取り、状況に応じて自らの運命を決めています。酸素、栄養、温度、pH、炎症、老化細胞、微生物叢、ホルモン、代謝、毒物、血流――これらすべてが細胞の“判断材料”です。
 そして、細胞は次のような問いを常に投げかけています。この環境で今の代謝のまま生きられるか、この状態でDNAを維持できるか、このストレスに耐えられるか、周囲の細胞と協調できるか、免疫の支援を受けられるか、などです。
 これらの問いに対して「YES」と答えられる限り、細胞は通常の姿を保ちます。しかし、「NO」が積み重なり、「このままでは死ぬ」と判断したとき、細胞は“変身”を決断します。がん化とは、細胞が自らの生存を守るために行う最終的な意思決定なのです。

■ 細胞が“変身”を決断する基準:小胞体ストレスとミトコンドリア機能低下
 細胞ががん化するまでには、いくつかの段階があります。その中心にあるのが、小胞体ストレス(タンパク質工場の破綻)や、ミトコンドリア機能低下(エネルギー不足)です。この二つが重なったとき、細胞は「通常の細胞として生きることは不可能」と判断します。
 このうち、小胞体ストレスというのは次のようなものです。小胞体は、タンパク質を正しく折りたたむ“工場”です。ここが疲弊すると、細胞は異常タンパク質だらけになり、内部環境が急速に悪化します。加工食品、脂質の偏り、ホルモン異常、慢性炎症などが小胞体ストレスを引き起こします。
 また、ミトコンドリア機能低下というのは次のようなものです。ミトコンドリアは細胞の“発電所(ATPの生成)”です。ここが弱ると、細胞はエネルギー不足に陥り、代謝の維持が困難になります。老化、ストレス、睡眠不足、栄養不足、毒物(抗生物質をはじめとした多くの医薬品を含む)などがミトコンドリアを弱らせます。
 なお、小胞体ストレスだけでは細胞はがん化しません。ミトコンドリア機能低下だけでもがん化しません。しかし、この二つが重なったとき、細胞は“通常の姿では生きられない”と判断し、がん細胞という形態を選ぶのです。

■ 細胞内環境の破綻:細胞が最も恐れる“内部の異常”
 細胞内環境とは、細胞内部の生命活動を支える“内部の状態”です。これが破綻すると、細胞は急速に追い詰められます。細胞内環境を構成する主な要素は次のとおりです。ミトコンドリアの働き、酸化ストレスの量、小胞体の負担、ATP(エネルギー)の量、栄養素のバランス、代謝の柔軟性、細胞内pH、イオンバランス(Mg、Zn、Caなど)、タンパク質の品質管理、などです。これらのうち、どれか一つでも崩れると、細胞はストレスを受けます。そして、複数が同時に崩れると、細胞は“通常の細胞としての生存”を諦めざるを得なくなります。
 細胞ががん化するとは、細胞内環境が「通常の代謝では生きられない」レベルまで悪化した状態
なのです。

■ 細胞外環境の破綻:細胞を追い詰める“外側の異常”
 細胞は、外側の環境にも大きく依存しています。細胞外環境とは、細胞を取り囲む“外側の世界”です。主な構成要素は次のとおりです。血流(酸素・栄養の供給)、pH(酸性・アルカリ性)、炎症の有無、免疫細胞の状態、微生物叢(腸・肺・皮膚)、温度、老廃物の排泄状態、ホルモン・代謝のバランス、などです。
 これらが破綻すると、細胞は外側からも追い詰められます。特に重要なのは、血流障害(低酸素・低栄養)、慢性炎症(老化細胞・腸内環境の乱れ)、免疫の偏り(Treg(制御性T細胞)やM2マクロファージなど)、微生物叢の単純化、などです。これらは、細胞にとって“最悪の環境”を作り出します。
 細胞は、内側と外側の両方から追い詰められたとき、「通常の細胞として生きるのは無理だ」と判断し、がん細胞という形態を選ぶのです。

■ その環境はどのようにして作られるのか
 細胞を追い詰める環境は、突然現れるわけではありません。日常生活の積み重ねによって、ゆっくりと、しかし確実に作られていきます。代表的な要因は次のとおりです。
① ミネラルバランスの乱れ:Mg、Zn、Se、Caなどの不足は細胞内外の環境を大きく乱します。
② 有害物質・発がん物質:アフラトキシン、タール、タバコ、重金属、ウイルスなど。
③ 腸内細菌叢の単純化:食の欧米化、食物繊維不足、過度な清潔志向。
④ 過食・肥満・飽和脂肪酸の増加:代謝の破綻、小胞体ストレスの増大。
⑤ 運動不足・リンパ停滞:老廃物が流れず、細胞周囲が“汚れた環境”になる。
⑥ ストレス・血流障害・免疫低下:赤血球凝集、毛細血管収縮、低体温、免疫疲弊。
 これらはすべて、細胞にとって“生きにくい環境”を作り出します。そして、細胞は、その環境の中で「生き延びるための形態」を選びます。それが、がん細胞という姿なのです。

 以上のように、細胞が、がん細胞という形態を選ぶ背景には、必ず“環境の破綻”があります。細胞内の代謝が維持できず、外側の環境からも支えられず、通常の姿では生きられないと判断したとき、細胞は生命史に刻まれた古い能力を解放し、緊急事態に適応する形態へと移行します。がんとは、細胞が追い詰められた末に選ぶ、生存のための最終手段なのです。これこそが、細胞が“がん細胞という形態を選ばざるを得なかった理由”です。
<次章に続く> 

 
スポンサーリンク
執筆者
清水隆文

( stnv基礎医学研究室,当サイトの keymaster )
世間一般では得られない、真に正しい健康/基礎医学情報を提供します。

stnv基礎医学研究室をフォローする
がん-癌
この記事をシェアする([コピー]はタイトルとURLのコピーになります)
stnv基礎医学研究室
タイトルとURLをコピーしました