最近、「ヒートショック」という語を聞く機会が増えたように思えます。生物系/医学系を志す人であれば「ヒートショック・プロテイン」を最初に想起することでしょうが、最近流行っているのは、入浴に伴って生じる可能性があると言われている、例の現象です。
そもそも、私も含め、寒冷刺激を推奨したり、温熱療法を推奨したりしている人間からすれば、「入浴時にヒートショック??」と疑問に思われている方がいらっしゃることでしょう。例えば、温泉に行けば、温水浴と冷水浴が交互に出来るようになっていたりしますが、その場合の冷水浴の冷たさは、冬場の寒い脱衣所どころの話ではありません。めっちゃ冷たいわけですから、これぞ「究極のヒートショック」だと言えそうです。そして、「それで死んじゃうんですか??」ってなりますよね!?
この「ヒートショック」を強く前面に打ち出しているのは、風呂場や脱衣所のリフォームを心掛ける業者さんです。日本古来の建築様式の場合、冬場の脱衣所や風呂場は寒いのが当たり前ですから、これを暖かい場所にしなければ、居間との温度差が大きいからヒートショックが起きて突然死するのですよ!と訴えかけるわけです。そして、お客さんにリフォームしてもらうなり、特別な暖房装置を導入してもらうなりすれば、それによって利益が得られるわけです。
入浴関連死は冬場に多いですから、やはり寒いのがいけないのだ…と思ってしまいますので、疑われ難い事例でもあります。
では、入浴関連死に関する要点を掲載した図(高画質PDFはこちら)にまとめてみましたので、それに沿って見ていくことにします。
先ず、現場に駆け付けた救急隊員から報告されているデータなのですが、死亡したのか助かったのかは問わずに、そのような事故が起こった場所を集計してみると、浴槽内が76%、洗い場が18%、脱衣所が4%でした。これは要するに、脱衣所や洗い場が寒くても、そこでの事故発生は少ない、ということになります。
そして大きな問題となる〝死亡事故〟になった場合ですが、その殆どが自宅の浴槽内だったということです。即ち、洗い場や脱衣所でも、倒れたりなどの事故は起きているのですが、死に至ることは滅多に無いということです。その理由は、温泉や公衆浴場、福祉施設などの公共施設で事故が起こった場合は、近くに目撃者が居て、その人が通報してくれたり、救助に当たってくれたりしますので、死亡に至らないことが殆どだということです。一方、自宅の浴槽内では入浴者が一人で居るため、救助されずに死に至る、ということになります。
次に、なぜ死に至るのか…、という問題です。これにつきましては、自宅の浴槽内で死に至った事例の約7割が、顔面水没の状態で発見されていて、即ち〝溺死〟であると考えられるわけです。残りの3割は、熱い湯に長時間浸かることによって起こった熱失神であって、即ち夏場に熱中症で死に至る原因と同様になります。
では、顔面水没したときに何故起き上がれないのでしょうか…。それは、意識が消失してしまっているからです。即ち、起き上がろうとする意思が働かなくなってしまっているからです。
「先に意識が消失した、という証拠が有るのですか?」という疑問が生じるでしょうが、次のような法医学的な研究データが報告されています。それは、浴槽内での死亡例を診ると、約9割(88.9%)に背中の皮下出血が見られることです。次いで、約7割(68.8%)に腰部の皮下出血が見られることです。なお、数字は重複分がありますので、背中と腰の双方に皮下出血が見られる例が多いということになります。次いで、5割(50%)に背中上部の皮下出血が見られる、ということでした。このことは即ち、浴槽内での死亡者に見られる皮下出血は、その故人が意識消失の結果、立ち上がった姿勢から転倒して背中を強打した、ということを示しています。
因みに、ヒートショックの結果として最も起こりやすいと、ネット上で言われている心筋梗塞や脳梗塞では、それほどまでの急激な転倒は起こりません。
それでは、なぜ意識消失するのでしょうか…。それは、起立性低血圧と強打によるものであると考えられるわけです。ではなぜ起立性低血圧が生じるのでしょうか…。結論として、次の4つを挙げておきました。
① 入浴中の座位姿勢が、事前に低血圧の状態を作り出すため(体位性低血圧)。② 温熱効果による血管拡張が、事前に低血圧の状態を作り出すため。③ 座位から立位に変わるときの血圧上昇機構が働かない状態になっているため。それは即ち、既に熱失神(熱中症の一形態)が生じているため。④ 特に寒い時期(冬場)は、入浴時間が長くなって、熱失神が起こりやすくなるため、ということになります。図には入れませんでしたが、もう一つ挙げるならば、水中から空中に出た部分の水圧が解除されることも、起立時の低血圧に少しだけ関与すると考えられます。
それならば、最も直接的で、最善となる対策は次のようになります。一言で言えば、〝急に立ち上がろうとしない〟ことです。
そのための具体的な方法は、浴槽から出ようとする前に、先に上半身だけ湯から出して、半身浴の状態にし、体調を確認することが一つです。次には、のぼせたりしていないことを確認した上で、浴槽の淵や手すりをしっかり持ちながら、例えふらついても直ぐに倒れないような工夫をすることです。介護用品の中には便利な手すりもありますので、それの利用もお勧めです。また、一人暮らしの場合や、家族が居ても自分の後に誰も入浴しないのであれば、湯から出る前に浴槽の湯を抜くことです。それによって、最も高頻度に起きている溺死を防ぐことができますし、気を失ったまま高温の湯に長時間浸かって熱失神を起こすことも防げます。もう一つ付け加えるならば、高温の湯に長い時間浸からないようにすることです。
以上のようなわけですので、ネット上に溢れている「脱衣場を暖かくし、温度差によるヒートショックを防ぐ」ことは、入浴関連死を無くすためには的外れの対策だと言えます。また、それが最善の対策であるかのようなイメージを与えてしまうと、却って死亡事故が増えることになります。いつも言いますが、検索して上位に出てくる情報は商業的な情報です。検索エンジンのAIがもっと進化しなければならないのですが、しばらくは、注意しながら、決して鵜呑みにしないことです。