前回の記事(『入浴関連死の最多原因はヒートショックなどではない』)では、入浴関連死で最も多い直接的原因が〝起立性低血圧〟であることを述べました。因みに、それと深く関連していることに熱失神(熱中症の一形態)がありますが、これはあくまで関連している場合があるというだけであって、直接的な原因になっていないことの方が多いと考えられます。また、人によっては持病が大きく関わっていたという場合もありますので、ここでは最多となるケースに絞って見ていくことにします。
〝起立性低血圧〟で倒れてしまうのは、例えば浴槽から立ち上がろうとした時に、普通であれば瞬時に血圧が高まって脳内の血流量が保たれるのですが、そのメカニズムが働かないために立ち上がることを強制的に止めさせる、という安全対策としての現象だと言えます。仮に、倒れずにそのまま立ってしまうと、明らかに脳内の血流量が不足して、数分後には神経細胞にダメージを負わせることになります。だからこそ、脳を守るための安全対策として、体はほぼ反射的に全身の筋肉を緩め、体を水平に倒すように指示を送ります。これは、大脳における意識に上げてしまうと本人が頑張って倒れないように踏ん張りますから、敢えて意識を失わせてから倒すようになっていると解釈できます。倒れると頭の位置が床面まで下がりますから、そのお陰で脳への血流量が確保され、神経細胞は虚血から守られることになって、その人も助かることになるわけです。ただし、倒れる場所によっては怪我をしたり溺れたりしますので、危険な場所で起立性低血圧にならないように注意することが必要になります。
入浴によって起立性低血圧になる機序は前回記事にて紹介しましたが、今回は、前回には触れなかった部分について見ていくことにします。先にデータを見て頂くことにしますが、掲載した図(高画質PDFはこちら)の下段に「国内の家庭内溺死者数の経年変化」というタイトルのグラフがあります。これの横軸は1956年から2003年までです。その後は、その右側に付け足したグラフを見て頂きたいのですが、これの横軸は2005年(平成17年)から2014年(平成26年)までになっています。そして、縦軸は共に家庭内溺死者の人数なのですが、両グラフの縦軸が揃うように配置しましたので、両グラフを1つのグラフとして見て頂ければ結構です。
さて、溺死者数はどのように変化してきていますでしょうか…。1990年までは、1,000人未満で、ほぼ横ばいの時代が続いていたことが判ります。なお、一定の人数がありますが、それは脳卒中や心疾患などの各種持病や、アルコール摂取後の入浴に伴う溺死の人数だと考えられます。また、データを見る際は母数を一緒に見なければなりませんが、高齢者人口は1950年から後はじわじわと増え続けてきているのですが、それにしては溺死者数の増加は少ないと言えます。
ところが、急に増え始めた時期があります。それは、1990年以降です。これは、この時に高齢者が急に増えたわけではありません。例えば、1990年の溺死者数と、その6年後の1996年の溺死者数では、約3倍に増えています。6年間で高齢者数が3倍になることはありません。従いまして、何らかの他の原因が、溺死者数を増やしたことは間違いありません。
そこで、掲載しました図の右上のグラフを見て頂きたいのです。横軸は、先に見て頂いた溺死者数のグラフと年が合うように配置しましたので、上下のグラフを見比べて頂くことができます。そして縦軸は〝降圧剤服用者の割合〟です。即ち、医師に診てもらって「血圧が高いですから、血圧を下げるお薬を出しておきますので、毎日、忘れないように飲んでくださいね!」と言われて飲んでいる人の割合です。例えば、1994年までは、降圧剤服用者の割合は15%未満でした。しかし、1996年から増え始め、その後もどんどんと増え続け、2011年では男性の30%、女性の25%が降圧剤を服用しているということです。
では、下の溺死者数のグラフと見比べて頂きたいと思います。1990年代半ばから降圧剤服用者が増えていきましたが、それに合わせるように1990年代の半ばから溺死者の割合も増えていきました。
「入浴関連死には、高血圧も大きく関係している」という情報もネット上に流れていますが、「では、高血圧の人が、なぜ低血圧で倒れるのですか?」という疑問が当然のごとく出てきます。日頃から低血圧の人が立ち眩みしやすいのは当然の結果ですし、風呂場で起立性低血圧で倒れても不思議には思わないでしょう。しかし、高血圧の人が風呂場で倒れやすいのです。
ここまで見てきて、答えはもう明確です。「入浴関連死の原因を医師に聞いてみました」と言って、何人ものライターさんが記事を書いています。そして、検索すれば、そのような記事が検索結果の上位に出てきます。医師は、自分たちが処方する薬のせいにはしません。「ヒートショックでしょう」「熱中症でしょう」「心筋梗塞や脳梗塞の場合もあります」などとは答えますが、「降圧剤のせいです」などとは口が裂けても答えないでしょう。
降圧剤には様々なものがありますが、どのようなものであっても、血圧を上げる体内の仕組みのどこかを阻害するものです。因みに、体内の血圧調節の仕組みにつきましては『高血圧であることが伝わっていないから高血圧』にて述べましたが、複数ある仕組みの各々に対して、それを阻害する薬が開発され、実際に使われています。
降圧剤を服用していると、「ご主人様は立ち上がろうとしているから、直ぐに血管を収縮させ、心筋の収縮率を高め、心拍数を増やしてください」という命令が延髄から発せられても、その命令が各所に及んで反応が起こるまでの経路が、降圧薬によってブロックされてしまっているのです。そのような状態ですから、そもそも入浴によって血管拡張している段階では、血圧上昇が達成されなくても何ら不思議ではありません。
高血圧の基準は、以前よりは高めに設定されるようになりましたし、年齢と共に上がっていくことも、以前よりは悪く捉えられないようになりました。しかし、高齢者が接する機会の多い種々の施設では、依然と降圧剤信仰が定着しています。また、真面目な人ほど薬を欠かさずにしっかりと飲み続けます。
日本の伝統的な文化である入浴をリスクの高い行為に変化させてしまった原因のうち、かなり大きなウェイトを占めているのが降圧剤の使用だと言えるわけです。