『②ハッピーがん闘病記』

②ハッピーがん闘病記

《 なぜ、標準療法を選択した判断は間違いだったのか?》
 今回の記事を書き始める前に、清水隆文氏の直近の記事を読み、衝撃を受けました(当研究室【冷酷無情のがん告知が、がんを作り重症化させる】要参照)。なお、清水氏はこのブログの管理人であるため、このブログにおいては「清水マスター」って呼ぶことにしようとの相談結果になりましたので、以降はそのように呼ぶことにします。

 上記の記事には次のようなことが書かれています。それは、「冷酷非情ながん告知によって、本当にがんになり、その後の慢性ストレスで、がんが進行する」という内容です。また、次のようなことも書かれています。「高額な医療機器、多種類の検査システム、高額かつ多種類の抗がん剤が、一人でも多くの人に使われるように、健康診断からスタートさせる綿密な利益獲得システムが運用されています。これに協力するのか、自分の健康は自分で守るのか、最終決定権はあなた自身にあります。そして、慢性的ストレスから解放されれば、がんは必ず回復に向かうでしょう。」
 この記事は、私に向けて書いて下さっているかのような内容だと感じました。そして、安易に検診を受ける事が、どれだけ自分の心身にとってハイリスクな行為なのかを理解しました。また、慢性的ストレスが、がんを悪化させていくメカニズムも知りました。

 要精査の総合病院では、がんのステージ診断と予後を告げられ、最善の治療として標準療法を強く勧められます。気楽に“体験ツアー”をしてみようなどと思い、標準療法を選択してしまうと、私のような悲劇に遭遇する事になります。
 治療が始まると、検査、薬、放射線の全ての副作用を受容(治療同意書にサイン)することを求められた上で、実際の治療が開始されます。たとえば、抗がん剤という全身に作用する毒薬を取り扱いながら、その後にどのような弊害が生じても「同意書にサインしているでしょう」という態度が取られるのです。
 私が副作用かもと思われる症状を訴えたときも、殆ど「そんな症状は大したことありません」と、一蹴されました。薬に過敏体質な私が、様々な副作用や有害事象の症状を訴えても、最終的には「そんなの聞いたことない。ちょっとした副作用と、がんを治すのとどっちが大切ですか?」と、そのまま経過観察でよいと放置されたのです。更に、多少の副作用ありき(あって当たり前)が、医療者側の共通認識で、その副作用をいかに追加処置や薬でコントロール出来るかが、医師の手腕の見せ所と思っているかのように見えたのです。

 詳しくは、次のようです。前回の記事で、当初のことについて少し紹介しましたが、令和5年8月1日に肺腺がんステージⅢcと判定されました。それによって、抗がん剤としてカルボプラチンとパクリタキセルを組み合わせたものの投与が始まると共に、放射線治療も受けることになりました。
 それが終わると、同年10月27日からは、イミフィンジ(デュルバルマブ;免疫チェックポイント阻害剤の一種)の投与が始まりました。これは、2週間に1回の点滴による投与でした。ただ、4回目が終わった頃に、これの副作用として橋本病を患うことになりました。そのため、5回目のイミフィンジ投与は中止になり、代わりに甲状腺ホルモンの補充を行うために、チラージンS錠を1日に0.5錠飲み続ける生活になりました。
 上記の治療によってがんは退縮したように見えましたが、その後、翌年の2月(最初の治療開始から半年後)の検査にて、肺腺がんが再発・転移して、今度はステージⅣaまで進行していることが発覚しました。今から思えば、それまでの治療が、私の細胞を本気で怒らせてしまったような気がします。
 そこで、2月10日からアレセンサ(アレクチニブ;ALK(未分化リンパ腫リン酸化酵素)阻害薬;いわゆる分子標的薬)の経口投与が始まりました。しかし、これまでに投与した種々の抗がん剤による副作用や有害事象で病んだ心身に、アレセンサの投与は激しい副作用を生じました。それは、顔面や頚部や背部全体の湿疹、掻痒、腹痛、過敏性腸症候群の症状、浮腫、眠気、倦怠感などでした。
 また、飲み始めてから1週間後には、舌荒、疼痛、口腔内異常、腸内細菌叢悪化、キリキリとした腹痛持続、上顎洞炎、皮膚の湿疹などが持続しました。そこで、アレセンサの投与量を半分に減らすことになり、薬疹に対応するためにザイザルという薬も併用することになりました。
 しかし、やがて体調があまりにも悪くなったため、3月11日にはアレセンサを中止することにし、その旨を担当医に伝えたのですが、次のような返事が返ってきました。
担当医:「この薬のせいにしないで下さい。この薬のせいだというなら、中止した残薬を再び内服して、同じ薬疹が出れば、その疑いもあるね!となり、本当に副作用を証明するには、入院して精査して、特定出来たら証明もできる」と言われたのです。
 一患者として、誰が、これ以上人体に危害を加える方法を採用して、再び証明しようとするでしょうか?もう、毒となる薬は使いたくはありません。持病の副鼻腔炎かもといった急性症状でも現在困っているのに、それについては何処にも受診不要、そのまま経過観察で様子見、という冷たい対応をされたことについても、驚きを隠せませんでした。

 また、その時は肺腺がんのステージⅣaでしたが、胸部X―P(レントゲン)によると、以前に比べて新たな浸潤はありませんでした。また、肝機能がやや高値でしたが、血液データはほぼ正常でした。それでも、担当医は、苦虫を噛みくだいたような表情で次のように言いました。
担当医:「今だけですよ!今は、この状態で落ち着いているから何も言いませんけど、でも、抗がん剤を止めてしまえば、あっというまにがんが全身に広がって働けない身体になりますよ!。特に、アルク陽性遺伝子の肺腺癌は、進行が早く、脳転移して、悪化します。今の症状が落ち着き次第、再び、抗がん剤を再開するのが、最善の選択と言えます。何もしないのは、お勧めできません。どうしても、抗がん剤を使いたくないというのなら、経過は私が診ていきます。開業医では、がんは診れないと思いますよ!その代わり、定期的な精査(CT・MRI等)は必要になってきます。それはいいですね?」
 私は、免疫力を上げて自然治癒力を最大限に発現させようとしているのに、この外来にかかる度に脅迫されているかのような錯覚を覚えました。これは、まさに“慢性ストレス”とも言える状態です。
 今まで、他にも不思議に感じたことがあります。それは、呼吸器内科なのに、一度も聴診された事がないことです。新型コロナの時期から、患者との接触をできるだけ避けたいということになったのかもしれませんが、データを追うのみで、薬の取り扱いのスペシャリストを誇っているのかもしれないと感じさせる診察でした。
 それまでの標準治療による副作用や有害事象に加え、低下した甲状腺機能を補うためのチラージンSと、薬疹を抑えるために飲んでいたザイザルを服用していた私の体調は極めて悪く、本来の力の6割で生活をこなし、残りの4割は薬害で体が悲鳴を上げている状態が継続していました。
 私は、自分の体を攻撃する薬を使ってしまい、自分の身体に対して「ごめんなさい」と謝罪しました。そして、命の危険をも感じました。次の外来日に、主治医に今まで治療して下さった事に感謝し(感謝の手紙:下記A参照)、日頃お世話になっている開業医への紹介状を書いて頂き、病院管理下から卒業する決断を下しました。その背中を押して下さったのが、命の恩人である清水様です。とってもありがたかったです。

《A:KDrへの手紙》
 K先生へ
 今まで、大変お世話になりました。ステージⅢcの原発がんを治して頂けて、大変感謝しています。半年後に、ステージⅣaと再発、転移した今からは、薬に頼らず、自然治癒力を最大限に発揮させるアポトーシスの働きで、がんが発生しても自然死する仕組みで、がんに感謝して生きていきます。今日で、K外来は最終受診日です。本当にありがとうございました。私が一人減った事で、他の患者さんに集中して治療にあたって頂けます。
 家族も理解してくれています。今後、再び、お手を煩わせる事が無いように致しますので、どうかご安心下さい。もし、がんの症状が進行する場合は、寿命と考え、在宅で、最期を迎える覚悟もできています。今現在は、科学者の方の助言やがんの本、あらゆる情報を活用し、どんどん元気になっています。その後も多くの方々から、がん治癒の情報を得る機会に恵まれ、できる事から実践を重ねています。基本は、大自然と触れ合い、森林浴等で、自分が心から癒され、楽しみ、喜び、笑う事で、自然に免疫力の高い状態が維持できる事を学びました。ファイトケミカル、玄米菜食、発酵食品の力で、腸内細菌叢も正常化しました。生体や細胞にダメージを与える抗癌剤治療は、薬に敏感体質である私には合わないと実感しました。今も薬害の後遺症とも思われる症状が残っています。
 K先生は、「薬のせいにしないで下さい」と、仰られましたが、全身薬疹は、消退しましたが、同時期発症の口腔内全体の粘膜異常、舌、咽頭、口頭まで、発赤、荒れ、味覚障害、軽度嚥下障害は、今も残っています。前回受診時、耐えられない症状を伝えても、他科受診不要、そのまま、経過観察の指示でしたね!薬害や、有害事象も、患者側が、証明の為の精査を入院してまで受けなければ認定されないことも理解しました。
1. ホームドクターであるM開業医への紹介状を書いて下さい。
2. イミフィンジ、アレセンサの同意書を書きましたが、後でも撤回できる説明を受けていますが、同意をキャンセルできますか?
3. 自分用の、今までのデータ(CD)と、画像の読影書がほしいです。
———《KDrへの手紙、ここまで》———                                                        

 これを読んだ担当医は「そこまで言うのなら…」と、同意して下さいました。そして「まずは、開業医が受け入れ可能かについて電話してみます。外でお待ちください」と言われたので、私は診察室を出て待合室に行きました。そこから声が聞こえたのですが、担当医が真っ先に電話されたのは私の主人の携帯でした。
担当医:「奥さん、こんな事言っちゃってますけど、私の手を離れたら、また、元に戻っちゃいますよ!それでも良いのですか?」
 元に戻るとは、即ち、初期の余命宣告「このまま、何の治療も施さなければ、予後1~1年半の命です」に戻ると言われたのです。家族にも、最後の最後までプレッシャーをかけていた事実を後で知りましたが、主人は担当医に対して、
主人:「大丈夫ですよ!妻が自分で治すって言っているからそれを信じてあげたいし、例え寿命が短くなったとしても先生を訴えたりしませんから…」と。
 そこで担当医は、訴えられないことを確認し、安心したのか
担当医:「困った状態になったらまた、何時でも受診して下さい。受け入れOKですよ!」
と返事をされました。それに対して主人は
主人:「また、その時がきたらお世話になります」
と、笑い合って受話器を置いたというエピソードがありました。訴訟リスクの回避の有無は、保険医の最大の確認事項なのでしょう。
 なお、この間に自分用のデータの一部は受理出来ましたが、紙ベースの資料は全ての結果が記入されていないもの(総合判定が記入されておらず、検査目的のみ記入)があり、不自然でした。また、上記2の、薬の同意のキャンセルにつきましては、「薬を使う前のみの同意であって、ずっと薬に同意したままではなく、製薬メーカーからも私の転帰に関し追跡調査される訳ではない」ことを知り、後に「同意書のキャンセルは不要」と伝えました。

 現在、私は病院にて処方された全ての薬をやめ、慢性的ストレスから解放され、がんステージⅣaから無事回復できたのです。前回の清水マスター記事のファイトケミカルの力も借りて、今後も、健康体を維持増進していけるよう努めてまいります。皆様も、検診や、病院の門をくぐる前に、清水氏の記事をみて、熟考してから行動して頂ければと思っております。ここまでお読み頂き、ありがとうございました。(*’▽’)
 次回は、直近の、副作用をどうやって克服出来たかに関して、記していきます。

 
執筆者
松島 友美

(看護師)国立養成所天竜病院附属看護学校卒業後、看護師として、聖隷三方原病院、浜松病院勤務後、結婚退職。3人の男児の子育てをしながら、パートで地方病院、開業医、老人保健施設に勤務。現在は、市の教育委員会より、小学校にて、医療ケア担当看護師として、担当児童のケアをしています。昨年8月より、肺腺癌ステージⅢcとの診断を受け、病院での標準治療を体験。半年後に、両肺に再発・転移でステージⅣaと診断。抗癌剤の有害事象や副作用疑いの薬害を受け、現在は、自然療法のみで健康増進を目指しています。

stnv基礎医学研究室をフォローする
tomomiの記事
スポンサーリンク
この記事をシェアする([コピー]はタイトルとURLのコピーになります)
stnv基礎医学研究室
タイトルとURLをコピーしました