私たちの身体の中には、二つ存在する臓器と、一つしか存在しない臓器があります。例えば、肺、腎臓、副腎、卵巣、精巣などは二つ(左右に一つずつ;左右一対)ありますし、心臓、肝臓、胃、膵臓などは基本的に一つしかありません。普段、私たちは、このような臓器の数を特に意識することなく生活していますが、ではなぜ、二つあるものと一つしかないものがあるのでしょうか。二つある方が有利なら、すべての臓器が二つあってもよさそうですし、逆に一つで十分なら、腎臓や肺も一つでよいように思えます。
◆ 二つある臓器は片方だけで充分なのか
では、二つある臓器は、片方だけでも充分に機能するのでしょうか。実は、これは臓器によってかなり事情が異なります。肺、腎臓、副腎、卵巣、精巣は、いずれも左右一対で存在していますが、片方を失った場合に残された臓器がどこまで機能を補えるのかは、それぞれ異なっています。
まず、腎臓についてですが、健康な人であれば、片方を摘出しても、残された腎臓が代償的に大きくなり、濾過能力を増すことで、通常の日常生活を送ることができます。実際に、腎移植のために自分の腎臓を一つ提供する人もいます。ただ、腎臓が一つの場合は、二つある場合に比べて、総腎機能は一般に低下し、腎臓が持っている予備力も小さくなります。そして、加齢や高血圧、糖尿病などによって残された腎臓の機能が低下すれば、その影響も受けやすくなります。つまり、腎臓は一つでも生命を維持できるだけの能力を確保できますが、二つあることによって機能的な余裕が生まれる、ということになります。
肺も同様に、片方を失っても生きていくことは可能です。実際に、肺がんなどの治療で片方の肺を摘出した人も、その後の生活を送っています。ただし、肺が一つになれば、当然ながらガス交換に利用できる肺組織の量は減少しますので、安静時には必要な酸素を取り込めても、運動時や感染症などによって呼吸への負荷が増したときには、以前ほどの余裕を持てなくなることがあります。このように、肺の場合も、二つあることによって、負荷が増したときに対応できる余力を持てるということです。
副腎は、左右の腎臓の上に一つずつ存在し、コルチゾール、アルドステロン、副腎アンドロゲンなどのホルモンを分泌しています。片方の副腎を摘出しても、残された副腎が必要なホルモン分泌を担えることが多く、通常は副腎機能を維持できます。因みに、「副腎疲労」という言葉が使われることがありますが、これは慢性的な精神的・身体的ストレスによって副腎が働き続け、やがて疲弊してコルチゾールなどのホルモンを十分に分泌できなくなる、という仮説に基づく説明です。しかし、2016年に発表されたシステマティックレビューでは、副腎疲労という疾患の存在を裏付ける科学的根拠は認められないと結論されています。また、米国内分泌学会も、副腎疲労は医学的に認められた疾患ではないと説明しています。
卵巣は、片方を失っても、残された卵巣が排卵と女性ホルモンの分泌を担うことができます。そのため、残された卵巣の機能に問題がなければ、妊娠・出産も可能です。ただし、卵巣が一つになることで卵子の供給量は減少し、卵巣予備能にも影響します。
精巣も、片方だけで精子を形成し、男性ホルモンであるテストステロンを分泌することができます。そのため、残された精巣の機能に問題がなければ、通常は男性ホルモンの分泌や自然妊娠に必要な精子形成を維持できます。ただし、片方でも機能を維持できることと、二つある場合と全く同じレベルの機能が発揮できることとは別だということになります。
◆ 一つしかないのに余力が比較的大きい臓器の例
では、一つしか存在しない臓器には余力が少ないのでしょうか…。実は、そうとは限らなくて、一つしかない臓器であっても、かなり大きな予備力を持っているものがあります。その代表が肝臓です。
肝臓は、栄養素の代謝、血糖値の調節、血漿タンパク質の合成、胆汁の生成、薬物や有害物質の代謝・解毒など、極めて多くの働きを担っています。これほど多機能な臓器でありながら、基本的には一つしかありません。しかし、健康な肝臓には大きな予備力があって、肝臓の一部を切除しても、残された部分が機能を補うことができます。
例えば、生体肝移植では、健康な人の肝臓の一部を切り取って移植に用いることがありますが、提供した人の残された肝臓も、移植を受けた人の肝臓も、その後に大きさと機能を回復させていきます。即ち、残された肝細胞が増殖し、必要な肝機能を担える状態に近づいていくわけであり、この性質は一般に「肝再生」と呼ばれています。ただ、元の形をそのまま再現するという段階までは至らず、容積的な回復(健常人なら9~10割)と、必要な機能がほぼ回復するということです。
もう一つの例として、膵臓を挙げることができます。膵臓は、消化酵素を含む膵液を分泌する外分泌機能と、インスリンやグルカゴンなどを分泌して血糖値を調節する内分泌機能を持っています。膵臓の組織がある程度失われても、残された部分が機能を維持できる場合があり、初期には明確な症状が現れないこともあります。ただ、膵臓の機能が低下していけば、消化吸収に問題が生じたり、インスリンの分泌不足によって糖尿病を発症したりする可能性はあります。つまり、膵臓にも一定の予備力はありますが、肝臓のように大きな再生能力を持つわけではありません。
このように、一つしかない臓器であっても、必ずしも余力が小さいとは限りません。肝臓のように大きな予備力(機能予備力)と再生能力を持つものもあれば、膵臓のように、一定の機能低下を補いながら働き続けるものもあります。
結局、臓器が一つか二つかという数の違いは、その臓器の余力を直接的に反映するものではない、という捉え方で結構だと思います。
◆ 一つなのか二つなのかを決定づける要因は
それでは、私たちの身体にある臓器が、一つになるのか、それとも二つ(左右一対)になるのかは、何によって決まるのでしょうか。
その背景には、身体の左右対称性、胚の発生過程、そして生物が長い時間をかけて進化してきた歴史が関係しています。
まず、私たちの身体は、基本的に左右相称の構造を持っています。受精卵が分裂を繰り返して胚が形成される過程では、身体の前後軸、背腹軸、左右軸が定められていきます。このうち左右軸の形成によって、身体の左右が区別され、多くの器官の原基は左右一対として形成されます。例えば、腎臓、肺、卵巣、精巣などは、発生の初期段階では左右それぞれに原基が生じ、それらが個別に発達していきます。
言い換えれば、左右一対の器官を作ることは、発生の仕組みから見れば、それほど特別な追加作業ではありません。身体そのものが左右軸を基盤として形成されますので、その左右それぞれの位置に、同じ種類の器官の原基を生じさせることは、基本的な発生プログラムの延長上にあるからです。もちろん、その後、それぞれの原基が成熟した器官へと発達するには、複雑な制御が必要ですが、少なくとも左右二つを配置すること自体は、身体の基本構造に組み込まれているといえます。
では、一つしかない臓器の場合はどうなのでしょうか。これには、いくつかのパターンがあります。
一つ目のパターンは、左右一対の原基が生じた後、それが融合して一つになる場合です。その例は、心臓に見ることができます。心臓は、胚の左右に生じた心臓原基が、正中付近で融合し、一本の心臓管を形成し始めます。その後、心臓管が屈曲し、内部に隔壁が形成されるなど、複雑な発生過程を経て一つの心臓になります。
二つ目のパターンは、最初から一本の原基として形成され、それが発達して一つの器官になる場合です。その代表例が、胃や腸などの消化管です。消化管は、胚の段階で形成される一本の原始腸管を基盤として発達します。この原始腸管は、前腸、中腸、後腸に区分され、それぞれが食道、胃、小腸、大腸など、異なる部分へと分化していきます。胃は原始腸管の一部が膨らみ、さらに回転や屈曲を起こすことで特徴的な形になります。また、腸も伸長しながら回転や屈曲を繰り返し、腹腔内に複雑な配置を形成していきます。つまり、胃や腸は左右一対の原基が融合して一つになるのではなく、一本の原始腸管が分化し、形を変えていくことで、一続きの消化管として形成されます。
三つ目のパターンは、一本の原始腸管の一部から、別の器官の原基が外側へ突出するように生じる場合です。その代表例が肝臓です。肝臓は、前腸の一部から肝憩室と呼ばれる原基が突出することで発生を開始します。この原基は、周囲にある中胚葉由来の組織、特に横中隔と呼ばれる領域に入り込みながら増殖し、肝細胞や胆管などへと分化していきます。つまり、肝臓は左右一対の原基が融合してできるのでも、消化管そのものが膨らんでできるのでもなく、一本の原始腸管から枝分かれするように生じた原基が、独立した大きな器官へと発達したものなのです。
その他のパターンとして、膵臓の例を挙げておきます。膵臓は、原始腸管のうち十二指腸になる領域から、背側膵芽と腹側膵芽という二つの原基が生じることで発生を開始します。この二つは、最初から左右一対として配置されるのではなく、原始腸管の異なる位置に形成されます。その後、十二指腸の回転に伴って腹側膵芽が移動し、背側膵芽に接近して融合します。つまり、膵臓は、消化管の異なる位置に生じた二つの原基が、発生の途中で合流して一つになる器官です。
◆最初からヒトを作るために設計されたものではない
今回見てきましたように、私たちの身体にある臓器は、必ずしも統一された一つの仕組みによって形成されるわけではありません。左右一対の原基から個別に発達するものもあれば、左右の原基が融合するもの、一本の原始腸管から分化するもの、さらには異なる位置に生じた複数の原基が合流するものもあります。なぜ、このように様々な発生の仕組みが存在するのでしょうか。
その理由を考えるうえで、忘れてはならないことがあります。それは、ヒトという生物が、最初からヒトになることを目指して設計されたわけではないということです。進化は、完成形を先に決めて、そこへ向かって身体を作り直していく過程ではありません。既に存在している身体の構造や発生の仕組みを引き継ぎながら、長い時間をかけて変化を積み重ねてきた過程なのです。
遺伝子は、身体全体の完成図を一枚の設計図として持っているわけではありません。細胞の増殖や分化、組織の形成、器官の配置などを制御する情報を持ち、それらが複雑に組み合わさることで、一個体の身体が形成されます。そして、その制御の仕組み自体も、祖先から受け継がれ、進化の過程で少しずつ改変されてきたものです。つまり、ヒトの身体を作るためだけに用意された、ヒト専用の発生プログラムが最初から存在していたわけではないということです。
例えば、ある器官の形成方法を根本から変更することは、必ずしも容易ではありません。既に存在する細胞の配置や組織間の関係、他の器官との位置関係などが相互に影響していますので、一部分だけを変更しようとしても、身体全体に影響が及ぶ可能性があります。そのため、進化では、既存の仕組みを残しながら一部を変更したり、別の機能を持たせたり、既存の構造を組み合わせたりすることで、新たな身体の特徴が生み出されてきました。いわば、長い歴史の中で、増築や改修を繰り返してきた建物に似ています。
そう考えると、臓器が一つなのか二つなのかという違いも、必ずしも最初から合理的に決められていたものではないことが分かります。左右一対の器官を作る発生の仕組みがあり、それを利用して二つの器官が形成される場合もあれば、二つの原基が融合して一つになる場合もある。あるいは、一本の原始腸管から分化して一つの器官が形成される場合もあります。それぞれの器官は、祖先から受け継いだ発生の仕組みを基盤として、進化の過程で右往左往しながら成立してきたものなのです。
また、進化の途上で生じた様々な変化の結果として、生き残れたのは少数派であると考えた方が妥当です。その時々の環境や身体の条件の中で、個体の生存や繁殖に不利にならなかった変化だけが、次世代へと受け継がれてきました。そして、既存の仕組みの制約を受けながら、その時点で成立した形が、次の進化の出発点になってきたということです。
つまり、私たちの身体は、最初からヒトを作るために設計されたものではなく、様々な生物の身体の形を経て、既存の仕組みを利用し、時にはそれを改変しながら、長い進化の歴史の中で現在の形に至ったものです。
そう考えると、一つしかない臓器も、二つある臓器も、必ずしも最初からその数が決められていたわけではなく、進化の積み重ねの中で、それぞれの形に落ち着いてきた「結果」なのだと言えるのです。
