脳は夜間に工事が行われる

脳は夜間に工事が行われる

 今回は〝睡眠〟を主テーマとした記事の3本目になります。巷では〝深い眠り〟である〝ノンレム睡眠〟が重視され、これが深いほど〝睡眠の質が良い〟と評価されることが多くなっています。言い換えれば、〝浅い眠り〟である〝レム睡眠〟は、少々軽視されている風潮になっています。
 或いは、まとまった睡眠時間が取れない場合は、細切れでも良いから必要な睡眠時間だけは確保しましょう、という話もあります。多忙な芸能人などは、移動中の寝られる時間に寝ておこう、という例が多く見受けられます。
 逆に、大谷翔平選手は睡眠時間を10時間程度とっていることが有名になりましたが、アスリートの場合はロングスリープ(長時間睡眠)が好成績につながるという複数の報告が以前からありましたので、彼はその証明をした事にもなりました。後で見ていきますが、深い眠りであるノンレム睡眠は、眠り始めてから3時間までに2回ほど現れますが、その後は現れません。従いまして、10時間にもわたる睡眠の場合は、レム睡眠を含めた浅い睡眠の繰り返しになります。

 ということで、最も浅い眠りであるレム睡眠の意義について見ていきたいと思います。〝レム〟と言いますのは〝急速眼球運動;Rapid Eye Movement〟であり、略して〝REM〟となります。この睡眠状態は、色々と夢を見る時間帯になっています。脳の活動レベルは昼間の覚醒時に非常に近く、エネルギー消費率も覚醒時とほぼ同等であると言われています。眼球を動かす筋肉だけは活動するのですが、他の骨格筋は、それを動かしている運動ニューロンの活動そのものが抑制されていますので、金縛りを体験する可能性もあるわけです。従いまして、前日に酷使した骨格筋は、レム睡眠によって大いに休まることになります。ただし、運動量の少ない高齢者がレム睡眠を増やしてしまうと、骨格筋の廃用性退化を進めてしまうことになりますから、大谷選手の真似をすることはやめておくべきでしょう。

 では、掲載した図(高画質PDFはこちら)の左側の図から見ていきましょう。これは一般的な睡眠パターンが示された図で、縦軸は〝睡眠の深さ〟、横軸は入眠からの時刻を示しています。また、上段は〝子ども〟、中段は〝若い成人〟、下段は〝高齢者〟の平均的な睡眠パターンになっています。
 〝若い成人〟の場合を見てみますと、入眠から1時間以内に最も深い眠りの状態になり、この状態が〝ノンレム睡眠〟です。〝子ども〟の場合では、このノンレム睡眠の時間が長くなっていることが大きな特徴です。一方、〝高齢者〟の場合では、ノンレム睡眠が現れないこともあるということです。もちろん、日中の活動が活発であり、大いに疲労した場合はその限りではないと言えます。
 再び〝若い成人〟の例に戻りますが、入眠から1時間数十分後に睡眠が極端に浅くなる時間帯が訪れ、これが〝レム睡眠〟です。図では黒く塗られている部分です。
 その後は、図に示されていますように、睡眠が深くなったり浅くなったりを繰り返していくことになりますが、最も深いノンレム睡眠は2回までにとどまっています。一方、最も浅い眠りであるレム睡眠は、その後においても何度も現れることになります。即ち、夢を見る時間帯は相変わらず訪れることになっています。「こんな浅い眠りの時間は要らないのじゃないですか?」と思ってしまうのも無理はありません。

 では、睡眠時間の後半にも何度も現れる浅い眠りのレム睡眠は、一体何の役に立っているのでしょうか…?
 先ずは、掲載した図の右側上段の図に描かれている、深い眠りであるノンレム睡眠におけるニューロンの活動について見てみます。ごく大雑把にまとめて紹介しますと、昼間に何らかの新しい経験をすると、従来から脳内に持っていた神経回路では処理できないという状況が訪れます。気に留めずにスルーすれば問題にはならないのですが、やはり大きな脳を持った動物は、その新しい状況に対応するために何らかの対策を講じることになります。そして、その対策が新たな神経回路を作ることになります。具体的には、新しい経験によって活動量を増した別のニューロンから強く刺激を受けた部分の樹状突起が伸び、当該ニューロンと強く結合する準備を行います。一方で、不必要または邪魔になっている樹状突起を退縮させる準備を行います。即ち、この作業がノンレム睡眠時に行われる作業になります。
 次に、下段の図に描かれている、浅い眠りであるレム睡眠時のニューロンの活動について見てみます。同様に、大雑把にまとめて紹介しますと、新しい回路を完成させるために、準備しておいた樹状突起を発達させて、接続すべき当該ニューロンとの間にシナプス結合を形成し、また、その結合面積を増やして結合を強化します。これによって、実際に新しい回路が完成することになります。言い換えるならば、レム睡眠の時間が不足していると、強いシナプス結合が実現しないことになります。即ち、学習結果がしっかりと定着しないことになるわけです。
 例えば、試験前に徹夜で勉強し、朝から試験を受けて何とか徹夜の成果を出せたとしても、夕方にはそのときの内容をすっかり忘れてしまっている、ということが起こります。一時しのぎは少し出来たとしても、身に付いていないことになります。

 ではなぜ、昼間に新しい経験や学習をしているときにシナプス形成が完成しないのか…? その最大の理由は、ニューロンはその時には現実に起きていることの情報処理に忙しいため、新たな回路を作ったり作り直したりしている余裕は無い、ということです。例えるならば、ある地点に新しい建物が完成した場合、交通量の多い昼間に道路工事が出来ないのと同じことです。昼間は、とりあえず車の流れを止めることなく、新しい建物に行くには既存の道を利用してもらうしかありません。そして、交通量が減ってきたときに一時通行止めにして、その建物に直線的に行ける太い道を作る工事をすることになります。ノンレム睡眠は、その設計図を描いたり土地を確保したり資材を搬入したりする時間であり、レム睡眠は、実際の道路工事を行う時間だということになります。

 以上のように、深い睡眠であるノンレム睡眠はもちろん重要なのですが、浅い眠りであるレム睡眠も決して欠かすことのできない重要な睡眠段階であると言えるわけです。最初に見た図で若い成人の場合は7時間の間に4回のレム睡眠の時間があるわけですが、これは脳内に新たな神経回路を作って固定化するための極めて大切な時間だということになります。

 
執筆者
清水隆文

( stnv基礎医学研究室,当サイトの keymaster )
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