「Aさんがそばにいると、なんか落ち着くわぁ」ということがあったり、「Bさんがそばにいると、こっちまでイライラしてくるわぁ」ということがあったりもするでしょう。この場合、AさんもBさんも、あなたに話しかけたりなど何もしなくても、ただそばにいるだけで、あなたの心境が変化してしまうことを意味しています。
昔、フランク永井さんが歌っていた「おまえに」という曲の歌詞に「そばにいてくれるだけでいい 黙っていてもいいんだよ」っていうフレーズがありました。これはむしろ、話さない、励まさないことのほうが有効なのだと、作詞者(岩谷時子さん)が感じていたからなのかもしれません。
Aさんの何かが空間を伝わってあなたに届き、あなたの心身に影響を与えてしまう。その何かを具体的に示したのが、添付しました図(高画質PDFはこちら)の左下の表です。
表の横方向は、Aさんと、あなたとの距離を示していて、左端から順に、0~30cm、30~100cm、1~3m、3m以上、という順になっています。
一方、表の縦方向は、上から順に、①行動パターン、②自律神経共鳴、③表情・声・姿勢、④オキシトシン系、⑤呼吸リズム、⑥微細運動同期、⑦脳波同期、⑧心臓リズム、という順になっています。これらは、表作成のために短く表現したもので、実際には図の中ほどから右側にかけて記載している①~⑧の表現になります。また、ここではこれらを「科学的チャネル」と呼ぶことにします。
そして、表の中身には、①~⑧の科学的チャネルが、どの距離まで、どの程度に影響を与えるかを示しています。
「そばにいてくれる」の距離を、1~3m(メートル)だとしましょう。すると、①~③までの科学的チャネルが強く働くことになります。それらを順に見ていくと、先ずは、〝①行動パターンの伝播〟についてですが、「黙っていてもいいんだよ」ということですので、会話はしないことにしますが、例えばAさんは、ゆったりと椅子に座って、好きな分野の読書をしているとか、日記のようなものをつけているとか、楽しそうに旅の計画を練っているとか、そのような行動をとっているとします。一方、隣の部屋にはBさんが居て、貧乏ゆすりをしながら電話で誰かと口論しているとか、部屋に入るとこっちを睨(にら)みつけるとか、何らかの物に当たり散らしているとか、そのような行動をとっているとします。
あなたがAさんのそばにいる時と、Bさんのそばにいる時では、心の状態が全く違ってきます。Aさんのそばにいる時は、あなたも気分が落ち着きますが、Bさんのそばにいる時は、あなたもイライラしてきます。更に、一緒にいる時間または期間が長くなればなるほど、そばにいる人の行動が当たり前のように感じるようになり、あなたの行動もそれに近付くように変化していきます。この現象は、行動パターンが伝播したということであり〝行動パターンの伝播〟と呼ぶことができ、〝行動の同調(引き込み、巻き込み、エントレインメント(Entrainment)〟と呼ばれることもあります。
このように、AさんもBさんも、あなたに直接的に何らかの対応をしているわけではないにも拘らず、あなたの心理状態や性格や行動パターンなどを変化させてしまうのです。言い換えるならば、あなたはAさん、またはBさんと同調してしまうことになるわけで、それは〝生体同調現象〟と呼ぶことができ、体が触れ合っていないのに伝わったわけですから、空間を伝わる〝生体同調現象〟だと言うことができるわけです。
表の2段目は〝②自律神経の共鳴〟であり、相手との距離が1~3mまでは、強く働くことになります。これは、Aさんのそばにいると安心感や安全感が伝わってきますので、副交感神経が優位になっていきます。それによって、自ずと心拍数も減り、呼吸数も減り、筋緊張も無くなっていきます。一方、Bさんのそばにいると、戦闘モードを作る交感神経系が優位になっていき、各種の生理的な指標も戦闘モードへと切り替わっていきます。
これは、心身の健康やパフォーマンスに対して、かなり大きな影響を及ぼすことになります。もし、あなたが他の人に能力を発揮させたいと思うのなら、多くの場合は、リラックスしたモードを作ったほうがハイパフォーマンスを発揮できますので、あなた自身が落ち着き、相手に安心感を与えることで、それが相手に伝わり、有利な結果に導くことになります。即ち、下手に励ますよりも、黙ってあなた自身が安心すれば良いのです。
これも、自律神経系の活動状態が人から人へと空間を伝わる〝生体同調現象〟だと言うことができるわけです。
表の3段目は〝③表情・声・姿勢のミラーリング(非言語チャネル)〟であり、同様に距離が1~3mまでは、強く働くことになります。
この現象は、脳内に在るミラーニューロン系と情動共鳴ネットワークの協働により起こる現象です。そもそも、多くの動物は、子どもの頃から親や成体の行動を真似することによって学習する仕組みになっています。いわば、ごく当たり前の習性だということができます。
Aさん、またはBさんの表情の微細変化(マイクロエクスプレッション)、声のトーン、韻律(プロソディ)、姿勢、動作が、そばにいることによって無意識のうちに模倣されていきます。これは、笑顔の人を見れば自分も笑顔になりやすく、怒っている人の顔を見れば自分も怒ったような顔になる機序でもあります。
もっと大きなレベルのミラーリングとしましては、子は親の背中を見て育っていく、とか、職人さんの技術などは教えてもらうのではなく見て覚える、などと言いますが、これもまさにミラーニューロン系と情動共鳴ネットワークによって成される、空間を伝わる〝生体同調現象〟だと言うことができるわけです。
次に、Aさん、またはBさんが1m以内にいる時に強く影響を与える科学的チャネルを見ていくことにします。
表の4段目は〝④オキシトシン系の共鳴(信頼・安心のホルモン)〟です。「安心の伝染」とでも言える、いわば生化学的な機序になります。即ち、1m以内の距離にいる相手の安心感や落ち着きが、自分のホルモン反応に影響するということです。
具体的には、触れ合ったほうが最も有効になりますが、優しい目線、優しい声、優しい表情によっても、相手のオキシトシンの分泌が促進されることになります。そして、相手への信頼、安心感、好意が強まることになります。従いまして、Aさんが相手なのであれば、距離が近いほうが効果が高まることになります。
表の5段目は〝⑤呼吸リズムの同期(呼吸エントレインメント)〟です。即ち、相手が1m以内の距離にいる場合、呼吸のリズムまで同期していくという現象が確認されているのです。呼と吸のタイミングまで合うことは難しいと思いますが、呼吸数はほぼ合ってくると言われています。
なお、呼と吸のタイミングを完璧に同調させるには、合唱をするとか、ヨガを一緒に行えば、ほぼ完ぺきに同調させることになります。また、瞑想などの場を利用して呼吸を整えて合わせることも可能でしょう。
Aさんのそばにいると、呼吸が穏やかになり、副交感神経が優位になり、心拍も落ち着くことになります。やはり、1m以内にいることで効果が高まることになるわけです。
表の6段目は〝⑥微細運動(マイクロモーション)の同期〟です。これは、相手の体の揺れ、重心移動、瞬きのリズムなどが同期する現象です。これには、視覚、ミラーニューロン系、生理リズム、情動の共鳴が重なって起こる“身体のエントレインメント(同調)”であると解釈されています。
Aさんのそばにいれば、Aさんの微細運動と同期していくことになります。或いは、親が安心した姿を見せていれば、子どもも安心して同様の揺れを起こすというものです。
表の7段目は〝⑦脳波の同調(γ波・α波の位相同期)〟です。発生する脳波の種類は、その時の精神活動の大まかな状態を表しますが、この場合は相手との距離よりも、相手との関係性に大きく依存すると言われています。即ち、相手と共感したり、共同作業をしたりすると、脳波の同調が起こりやすいことが知られています。また、心拍や呼吸が同調すると、脳波も同調することになります。
表の最下段である8段目は〝⑧心臓リズムのエントレインメント(HRV・心臓電磁場)〟です。これは、特に相手と30cm以内の至近距離にいる場合に、リズムが同調する現象の起こることが確認されています。要するに、「落ち着いた人のそばにいると落ち着く」という現象が、心電図でも確認できるということです。逆に、相手がドキドキしていれば、そのドキドキ感も伝わることになります。
「人を簡単に変えることは出来ない。だからこそ、自分を変えることが先決だ」などというフレーズはよく使われますし、「相手を変えようと思うのなら、まず自分が変わることだ」というのもあります。自分が相手に厳しく注意を促したり、くどくどと説教するよりも、自分が心を穏やかにし、笑顔を向け、落ち着きを示すことによって、相手も落ち着き、良い歩行へと変わっていくのだと思います。それは無意識のうちに伝播する〝生体同調現象〟が起こるからです。
