誰にも言えなかった夢──遠い空を見上げた夜

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◆ 第5話 ── 心の奥にしまっていた未来 

土曜の夜は、家の中がいつもより静かだった。
今日は、あかりさんと会えない日で、みのりは少しだけ胸の奥がさみしかった。
みのりは、布団の上に座って、胸の前でスマホを両手で包むように持っていた。
画面は何度もつけたり消したりして、そのたびに小さな光が部屋の白い壁に揺れた。

「……送ろうかな」
そう思って入力画面を開くのに、指はすぐに止まってしまう。
言ったら変に思われるかもしれない。
笑われるかもしれない。
そんな気がして、胸の奥が少し重くなる。

でも、今日の夕方に届いた、あかりさんからの短いメッセージが、その重さをほんの少しだけ軽くしていた。
「今日もおつかれさま。ゆっくり休んでね」
その一文を思い出すと、心のどこかが、ゆっくりとほどけていく。

みのりは深く息を吸って、もう一度、メッセージ入力の画面を開いた。
今なら、言えるかもしれない。
ずっと心の奥にしまっていた、あの未来のことを…。
スマホの画面には、みのりの文字が並んでいた。

「……あの、変に思われるかもしれないんですけど。
実は私、宇宙飛行士になりたいと思っているのです。
ずっと前から、宇宙のことを考えるのが好きで……
でも、学校の物理とか数学って、なんだか全然面白くなくて、授業になると急に分からなくなるんです。
そんな自分が言っていい夢じゃない気がして、友達にも言えなくて……ずっと黙っていました。
でも、あかりさんには言える気がして……送ってみました。」

少しして、画面にあかりさんの返信が届いた。
「みのりさん、教えてくれてありがとうございます。
宇宙飛行士になりたいと思った気持ち、とても大切なものだと思います。
笑ったりなんてしませんよ。
宇宙のことが好きだと感じた時間があったなら、その気持ちはちゃんとみのりさんの中にあるものです。
物理や数学が難しく感じるのも自然なことですし、今の段階で全部できなくても大丈夫です。
話してくれて、本当にうれしかったです。」

あかりさんの返信を読み終えたとき、みのりは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
否定されなかったことが、思っていた以上に大きかった。
「……よかった」
声に出すと、その言葉は部屋の静けさに吸い込まれていった。
夢を話すのは、こんなにも怖くて、こんなにも軽くなるものなのだと、みのりは初めて知った。

スマホの画面には、あかりさんの丁寧な文字がまだ光っている。
その光を見ていると、胸の奥にあった重さが、ゆっくりとほどけていくようだった。
みのりは布団に横になり、スマホを胸の上にそっと置いた。
目を閉じると、遠い空のことが静かに浮かんでくる。

あの空の向こうに行きたいと思った日のこと。
誰にも言えなかった気持ち。
ずっとしまっていた未来。
それらが、今夜ようやく言葉になった。

スマホを胸の上に置いたまま、みのりはしばらく天井を見ていた。
あかりさんの言葉が、胸の奥に静かに残っている。
その温かさに包まれていると、もうひとつだけ、ずっと言えなかったことが浮かんできた。
みのりは、ゆっくりとスマホを手に取り、再び入力画面を開いた。

「……あの、もうひとつだけ言ってもいいですか。
私、授業で分からなくなると、自分だけ置いていかれている気がして、すごく怖くなるんです。
質問したいのに、“こんなことも分からないの?”って思われそうで、いつも黙ってしまいます。
そのせいで、勉強がもっと苦手になっていく気がして……
どうしたらいいのか分からなくて。」
送信ボタンを押すと、胸の奥が少しだけ軽くなった。

少しして、画面にあかりさんの返信が届いた。
「みのりさん、話してくれてありがとうございます。
授業で分からなくなるときに“置いていかれた気がする”というのは、みのりさんだけの問題ではありません。
人は不安を感じているとき、脳の前頭前野という“理解する場所”の働きが弱くなるんです。
だから、分からなくなるのは能力の問題ではなく、“安心できていない環境”のほうに原因があることが多いんですよ。」

みのりは画面を見つめたまま、胸の奥がさらに温かくなるのを感じた。
あかりさんの返信は続いていた。
「それに、質問できないのも自然なことです。
“こんなことも分からないの?”と言われるかもしれない、そう思うと誰だって声が出なくなります。
でもね、学びって本来は、分からないところを言葉にした瞬間に深まるものなんです。
分からないと言える環境があるかどうかで、理解力は大きく変わります。」

さらに、続けて…
「だから、みのりさんが黙ってしまうのは、性格の問題でも、能力の問題でもありません。
“安心して質問できる場所がない”だけなんです。
それは、みのりさんのせいじゃないですよ。」

返信を読み終えたとき、みのりは胸の奥がもっと温かくなった。
授業で分からなくなるのは、自分が悪いからだと思っていた。
質問できないのは、自分が弱いからだと思っていた。
でも、“安心できないと脳が働きにくい”
“質問できる環境が大事”
そう言われると、胸の奥にあった重さが少しずつほどけていく。

「……そうだったんだ」
声に出すと、その言葉は部屋の静けさに吸い込まれていった。
みのりは初めて、“自分が悪いわけじゃなかったのかもしれない”と思えた。
その気づきは、小さな灯りのように胸の奥で揺れていた。

◆ 第5話 解説ノート ── 子どもの脳が本来の力を発揮する条件を理解するために
 子どもが学びに向かうとき、最も大きな影響を与えるのは「安心できるかどうか」です。脳の前頭前野は、理解・判断・集中などの高次機能を担っていますが、不安や緊張が続くと働きが低下します。授業中に「急に分からなくなる」「頭が真っ白になる」という現象は、能力の問題ではなく、脳がストレス状態に入っていることが原因です。
 みのりが感じていた「置いていかれるような怖さ」や「質問できないまま黙ってしまう」という反応は、現代の教室で多くの子どもが経験しているものです。分からないと言えない環境では、理解が深まる機会が失われ、苦手意識が強化されていきます。これは個人の性格ではなく、環境が生み出す構造的な問題です。
 安心して質問できる場があると、前頭前野の働きが回復し、理解力や集中力が自然に高まります。大人ができることは、子どもが「分からない」と言葉にできる環境を整えることです。否定されない経験が積み重なると、自己効力感が育ち、学びに向かう力が安定していきます。
 子どもの脳が本来の力を発揮するためには、能力を高める前に「安心できる関係」と「言葉を出せる環境」が必要です。みのりの変化は、その第一歩がどのように生まれるのかを示しています。

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執筆者
清水隆文

( stnv基礎医学研究室,当サイトの keymaster )
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