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◆ 第54話 ── あかりとみのりの N‑Sync Wave 初共振
トレーニングが終わってジムの外に出ると、空は薄紫色に染まり、少しひんやりとした風が頬を撫でた。あかりとみのりは、駐車スペースに停めていたあかりのクルマに乗り込み、帰路に着いた。
みのりは、トレーニング後の心地良い疲労感で、ゆっくりとシートに身をゆだねていたが、ふと何かを感じ、あかりのほうを向いた。
(……あかりさん…?)
運転中のあかりは、前を向いたまま、みのりに話しかけた。
「みのりさん、今日はいい体験になりましたね」
みのりは、話しかけられる直前に、あかりから“何か”を感じた。そして、その直後に話しかけられたため、あまりのタイミングの良さに、ちょっと驚いた。
「…あ、はい。 ……あかりさん、体育の先生みたいでした。……でも、すごく優しかったです」
あかりは、みのりの反応を感じ取り、確信を得た。
(……これなら伝わりそう…… 今のタイミング… みのりさんは、私の内側の揺らぎに反応した……)
「……スクワットの時の体の使い方も、すごく良かったです」
次にあかりは、もちろん運転中であるため視線を前に向けたまま、心の奥で“安心”の波を作った。
すると、みのりは言った。
「…今日は初めてでしたけど、あかりさんがいてくれて、すごく安心しました」
あかりは、その言葉を確認した。
(……届いてる……。 みのりさんに… 確実に届いてる……)
「私も、すごく楽しかったですよ」
あかりは、今度は、心の奥で“優しさ”の波を作った。
みのりは、おもむろに言った。
「…あかりさん、今日は、ほんとにありがとうございました。シューズとかウェアとか…プロテインも… 送り迎えも… 全部していただいて…。感謝の気持ち…言葉にできないほどです」
あかりは前を向いたまま、静かに微笑んだ。
「いいえ。みのりさんが成長できるなら、私は何でもしますよ」
(……この子なら…… 言葉を使わなくても交信できるかも……)
あかりは、今度は、心の奥で“喜び”の波を作った。
みのりが反応した。
「……あかりさん…?」
その声は、何かを受け取った人の声だった。
あかりは、横目でみのりの表情を確認し、静かに微笑んだ。
「どうしました?」
みのりは、言葉を探すように視線を揺らした。
「……なんか…… あかりさん……心の中で、“嬉しい”って思いました?」
「はい。思いました」
「ええっ!? ……あかりさんが思ったこと…… 私に伝わる……?」
みのりは、かなり驚いた。
あかりは、さらに嬉しくなり、みのりに次のように説明した。
◆ あかりの説明
「……みのりさん。人の脳って、たくさんのニューロンが動いていますよね。そのニューロンの多数が、同じタイミングで“同期”すると、電気的な活動のリズムも揃います。そのとき、頭の外に向かって、“ある種の波”が放射されるんです」
「…ある種の波… ですか…」
「はい。ニューロンの電気的な活動が広く同期すると、空間に“揺らぎ”が生まれるのですが、私たちは、この揺らぎを N‑Sync Wave(Neural Synchronization Wave;神経同期波)と呼んでいます。電磁波とは少し違っていて、ニューロンの同期が、空間を満たしているダークエネルギーの場に伝わることで生まれる波なんです」
みのりは、目を輝かせた。
「ダークエネルギー……専門書で読みました!」
あかりは、みのりの反応に少し嬉しそうに頷いた。
「はい。ダークエネルギーは、私たち身の回りの空間の68%を占めているもので、どこにでも存在しているものです」
みのりは、息を整えながら聞き入った。
あかりは続けた。
「人が安心しているとき、そばにいる人まで落ち着くことがありますよね。あれは、N‑Sync Waveが、周囲にいる人の脳の同期を、少しだけ促すからなんです。生体の同調……という言い方もできます」
「……生体の同調……それも本で読んだことあります……」
あかりは、みのりの様子を見ながら、さらに声を柔らかくした。
「今日のトレーニングで、みのりさんの脳はすごく整っていました。雑音が少なくて、同期しやすい状態になっていたんです。だから、私が“嬉しい”という情動に対応するニューロンを同期させると、その波であるN‑Sync Waveがみのりさんの脳にも届いて……同じ場所のニューロンが共振したんです」
みのりは、感激したように、あかりのほうを向いた。
「…あぁ…だから……あかりさんの気持ちが伝わったんですか……」
「はい。みのりさんが、受け取れる状態だったからです」
「……でも……そんなこと……本当にあるんですね……」
「あります。ただし、誰にでも起こるわけではありません。みのりさんのように、感受性が高くて……脳が整っている人だけです」
みのりは、ちょっと考え込んだようだった。
あかりは、さらに声を柔らかくして続けた。
「みのりさん……もしよければ……これから、少しずつ“同調の練習”をしてみませんか? 言葉を使わずに気持ちを伝える方法です。受け手が同調できる人なら……とても自然に伝わります」
みのりは、子どものように目を輝かせた。
「…それ…やってみたいです!!」
あかりは、前を向いたまま、静かに微笑んだ。
「わかりました。じゃあ、まずは……とても簡単なことから始めましょう」
◆ みのりの家に到着
あかりのクルマが、みのりの家の前にゆっくりと停まった。
みのりは、胸の奥にまだ“共振の余韻”が残っているようで、シートベルトに手をかける動作が、いつもより少しゆっくりだった。
「…着きましたよ、みのりさん」
あかりがそう声をかけると、みのりは小さくうなずいた。
「…はい…」
言葉は返したものの、視線はまだあかりのほうに向いていた。
(……さっきの…… あれは……本当に……?)
あかりは、その揺らぎを感じ取ったように、前を向いたまま声を柔らかくした。
「今日は、ゆっくり休んでくださいね。脳も体も、たくさん同期しましたから」
みのりは、ドアを開ける前に、もう一度あかりの顔を見た。
「…あかりさん…… また……練習、できますか…?」
あかりは横目でみのりを見て、静かに微笑んだ。
「もちろんです。みのりさんが望むなら、いつでも」
「凄く嬉しいです…… じゃ、あかりさん、気をつけて帰ってくださいね」
「ありがとうございます。…それじゃ……またね」
みのりがクルマから降りると、距離がすこし離れたせいか、胸の奥の“共振”がゆっくりと静まっていくのを感じた。
(……あかりさんの波…… 近いと、わかるんだ……)
みのりが見送るなか、あかりのクルマは角を曲がっていった。
みのりは、胸の奥に残った温かい同期の余韻を抱えたまま、家に入った。
そのあと、夕ご飯を食べながらママにジムでのことを話し、2階に上がって明日の学校の準備を整えたあと、心地良い“波の余韻”の中でぐっすりと眠ってしまった。
◆ 翌日の夜
みのりは夕食を終えたあと、自室の机に向かって速読のトレーニングをしていた。
(……もう、学校の教科書は全部読んでしまったし…… また専門書に戻ろうかな……)
そのときスマホが震え、画面には「あかりさん」の名前。
(……あっ! あかりさんからだ……)
『みのりさん。昨日言ってた“同期の練習”、少しだけ試してみませんか? 時間が取れそうなとき、教えてください』
みのりはすぐに返信した。
『今からでも大丈夫です! やってみたいです!!』
『じゃ、ビデオ通話にしましょう』
すぐにビデオ通話がつながった。
あかりは、いつもの落ち着いた表情で言った。
「みのりさん。今から“安心の波”を送ります。感じたら、感じたとだけ言ってください」
みのりは、深く息を整えた。
「……はい」
あかりは、心の奥で“安心の情動に対応するニューロン群”を同期させた。
その瞬間、みのりの脳のどこかが、そっと共振した。
「……あかりさん…… 今……来ました……」
あかりは、柔らかく微笑んだ。
「はい。届きましたね」
★ 解説コラム――脳内同期と N‑Sync Wave(神経同期波)について
人の脳では、数十億のニューロンが常に活動している。その活動は本来、雑然としたノイズのようなものであり、個々のニューロンが勝手に発火しているだけであれば、外部に影響を及ぼすことはほとんどない。
しかし、ある目的に向かって多数のニューロンが“同期”を始めると、状況は一変する。同期したニューロン群は、電気的な活動のリズムが揃うため、頭蓋骨を隔てて空間に向けて“揺らぎ”を生み出す。この揺らぎは、空間を満たしているダークエネルギーの場に伝わり、波として広がる。この波が、N‑Sync Wave(Neural Synchronization Wave;神経同期波)である。
ダークエネルギーは、宇宙の空間を占めている成分の約68%を担っている“場”であり、星や空気のように形があるものではない。空間そのものの性質を決めているエネルギーで、地球上のどこにでも均一に存在している。そのため、脳内の同期によって生じた揺らぎは、距離や障害物に左右されにくく、空間全体へと広がることができる。
この N‑Sync Wave は、周囲の人間の脳にも影響を与える。特に、受け手側の脳がその周波数に“同調”しやすい状態にある場合、同期のリズムが引き込まれ、該当するニューロン群の活動が整えられる。ラジオの同調器が目的の周波数を探して合わせるように、脳は届いた波の周波数をスキャンし、共振する領域を特定する。
水瀬あかりが、人と会った瞬間にその場の空気を変えてしまう理由の一つは、この N‑Sync Wave の放射強度が極めて大きいからである。あかりの脳は、情動や意図に応じて広域な同期を起こし、その結果として場全体に整った波が広がる。周囲の人は、その波に触れた瞬間に、自律神経や情動のリズムがわずかに整えられ、結果として「落ち着く」「安心する」「頭が冴える」といった変化を感じる。
みのりがあかりから波を受け取るとき、みのりの脳は“受信側”として働く。届いている波の周波数に合わせようと脳内でスキャンを行い、共振したニューロン群を特定する。そのニューロン群が担当している情動の種類が分かれば、みのりは「嬉しい」「楽しい」「安心」といった内容を言い当てることができる。
この仕組みは授業中にも働く。みのりが物理の問題を理解しようとして、多数のニューロンが同期すると、その同期に伴う N‑Sync Wave が周囲の生徒の脳にも届く。該当する領域のニューロンが引き込まれ、同期の度合いが高まることで、周囲の生徒の理解力が上がる。みのりの席の周囲だけ反応が速くなる理由は、まさにこの“場の同期”によるものである。
現在、みのりがあかりと行っている練習は、この“送受信の精度”を高めるためのものである。特定の情動に対応するニューロン群を意図的に同期させ、その周波数帯域の N‑Sync Wave を正確に送受信できるようにする訓練である。これが進めば、みのり自身も、あかりのように場を整える力を持つようになるだろう。
その影響は、人間だけに限らない。ニューロンを持たない生物であっても、細胞レベルで反応する可能性がある。実際、キュウリの切片が発光した実験のように、N‑Sync Wave が生体にストレスとして作用することがある。猫や犬のような哺乳類であれば、なおさら影響は大きい。
脳内の同期が生み出す N‑Sync Wave。それは、まだ科学が完全に解明していない領域だが、確かに存在し、確かに人に影響を与える。みのりとあかりの能力は、その最前線にある。
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