「面倒くさい」という感情は、とても大切なものです。面倒だと感じるからこそ、人は工夫し、改善し、ときには新しい道具を発明してきました。例えば、火を起こすのが面倒だから火打ち石を考え出した、ものを移動させるのが重くて面倒だから車輪を考え出した、計算が面倒だから算盤・電卓・コンピュータを発明した、手紙が面倒だから電話やメールを発明した、掃除が面倒だから掃除機やロボット掃除機を発明した、などという具合です。言いかえれば、「面倒くさい」は文明を前に進めてきた大切な原動力でもあります。
ただ、人によって面倒くささへの向き合い方には違いが見られます。そして、次のように4つのタイプに分けることができます。
1つ目は、「面倒くさい」と感じたら、それを解消するために自ら工夫したり、発明したりするタイプです。このタイプの人は、上述しましたように、「面倒くさい」を改善や発明のエネルギーに変えてしまう人であり、人類の文明を前に進めてきた素晴らしい存在だと言うことができます。
2つ目は、「面倒だから良いのだ」と考え、あえて手間を楽しむタイプです。
3つ目は、「面倒くさいなぁ」と言いながら、不愉快に作業をこなすタイプです。
4つ目は、「面倒くさい」と思った瞬間に、ボタン一つで動くものに買い替えたり、他人に任せたりするタイプです。
そして、今日のテーマは上記の2つ目のタイプ、即ち「面倒だから良いのだ」と考え、あえて手間を楽しむ人についてのお話になります。
「面倒だから良いのだ」という捉え方をする人は、世界の長寿村の人々が長生きする理由ともつながっています。世界の長寿地域(ブルーゾーン)を調べますと、食事内容や気候や遺伝的要因よりも、もっと根本的な共通点があります。それは、生活が「適度に不便」であることです。例えば、水を汲む、火を焚く、手作業で料理をする、人力で畑を耕す、道具は自分で直す、重い荷物を持って坂道を歩く、人と直接会って話す、などです。これらは全て、脳と身体に“軽いストレス”を与える行為であり、便利さに囲まれた現代人が失った“日常の小さな負荷”が、長寿村では当たり前のように存在しているということです。そして、その積み重ねが、神経可塑性、代謝、免疫、ストレス耐性など保ち、結果として健康長寿につながっているのだと考えられるわけです。
私の知り合いから聞いた話なのですが、社会で大きく活躍し、経済的にも成功し、その後に高級・高額の有料老人ホームへ入った方がいました。そこでは、食事も掃除も娯楽も、全てが完璧にサービスされ、“何ひとつ自分でやらなくていい”環境だったそうです。しかし、その方はしばらくして急速に弱り、やがて亡くなられたのです。私はその話を聞いたとき、「不便さが失われた結果なのではないか」と強く感じました。人間は、便利さだけでは健康を保てないのです。脳も身体も、軽い負荷を必要としている生き物だからです。
Indeed PLUS のCMで、レコードをかける前に毎回ていねいにレコード盤面を拭くタモリさんに、隣の女性が「いーつも1回1回それやって、面倒くさくないんですか?」と尋ねると、タモリさんは「面倒だから、いいんじゃないの。」と答えるシーンが使われています。この一言は、生物学的、脳科学的に見て、非常に深い意味を持っていることを紹介します。
面倒くさい作業、不便な手順、ひと手間かかる行為など、それらは全て、脳にとっては軽いストレス刺激です。そして、その軽いストレス刺激は、神経可塑性を維持し、コルチゾールの“適度な波”をつくり、ホスホリパーゼA₂(PLA₂)を軽く抑え、慢性炎症を抑制し、代謝を活性化し、免疫を微調整し、回復力を維持するという、抗老化に直結する作用を持っているのです。
では、「面倒くささ」によって得られる効果について、もう一段掘り下げて見てみることにします。
1つ目は、神経可塑性の維持についてです。手順の保持、道具の扱い、手元の微調整、感覚フィードバック、注意の集中など、これらを同時に使いますので、脳の前頭前野・小脳・感覚野が総動員されます。その結果、便利すぎる生活では使われない脳の領域が、面倒くささによって柔軟な対応力を維持するのです。
2つ目は、免疫の微調整についてです。「面倒くささ」による軽いストレスは、コルチゾールのレベルを“少しだけ”上げることになります。それによってホスホリパーゼA₂(PLA₂)が軽く抑えられ、免疫の過剰反応が抑えられ、必要なときにだけ働くように調整され、慢性炎症があればそれを静かに鎮めることになります。要するに、面倒くささは、免疫の“日常メンテナンス” になるということです。
3つ目は、代謝の活性化についてです。総じて言えば、便利さは代謝を下げますが、不便さは代謝を上げることになります。例えば、階段を使う、車ではなく徒歩で行く、自動化ではなく手作業にする、すぐ調べずに少し考える、などの行為は全て、代謝のスイッチを入れる“軽い負荷”になるわけです。
4つ目は回復力(レジリエンス)の維持についてです。面倒くさいことをする習慣は、脳のストレス耐性を底上げすることになります。「やればできる」、「自分で処理できる」、「多少の負荷は平気」、などです。このような感覚が積み重なることによって、精神的な回復力が強くなるわけです。
以上のように、あえて「不便」「面倒くさい」ことを日常的に行うことによって、上述のような様々な効果が実現されるということです。
さらに、オーディオマニアがレコードを聴く理由について、上記以外のことについても触れておきましょう。これは単に「音が良いから」という理由だけではありません。もっと深い、人間的で、脳科学的な理由があります。
1つ目は、“儀式性”が心を整える、ということです。レコードを聴くという行為は、音楽を再生する前に、必ず「儀式」があります。レコード盤を取り出す、盤面を拭く、針を落とす、回転を見守る。この一連の流れは、脳の前頭前野を静かに活性化し、心を整える“儀式” なのです。今時の便利なストリーミング再生には、この儀式がありません。
2つ目は、“自分が音を鳴らしている”という主体感を持てることです。即ち、レコード再生は、「自分が音楽を鳴らしている」という感覚を強く生じるのです。レコードプレーヤーやカートリッジの選択、針圧の調整、盤の状態、装置や部屋の環境、手入れの仕方など、それらが音に影響しますので、自分の行為が音を作っているのだと感じるわけです。これは脳にとって、とても強い“自己効力感”になります。
3つ目は、“手間”が音楽体験を豊かにすることです。人間は、手間をかけたものほど価値を感じる、という心理があります(行動経済学でも証明済み)。レコードは、まさにこれなのです。手間をかけて準備した音、手間をかけて守った音、手間をかけて調整した音を聴くわけですから、音楽が“ただの音”ではなく“体験”になるのです。
また、レコード盤を拭くときの気持ちを挙げておくことにしましょう。レコード盤を拭くとき、オーディオマニアは次のような気持ちになっているのだと考えられます。
1つ目は、「音を良くしてあげたい」という“世話心”です。レコードは、まるで生き物のように扱われます。ホコリを取ってあげる、傷を防いであげる、最高の状態で鳴らしてあげる、などです。これは、植物などの生き物を育てる感覚に近いのでしょう。
2つ目は、「これから良い時間が始まる」という期待感です。盤を拭く行為は、これから始まる“音楽の時間”の準備運動です。脳はこの時点でドーパミンを少しずつ出し始めます。つまり、拭いている時点で、すでに幸福が始まっている…ということです。
3つ目は、「この手間こそが音楽の一部」という美意識です。オーディオマニアは、「手間=美学」と感じています。手間をかけるのが楽しい、手間が音を育てるのだ、などと考えていることでしょう。
では、この記事の最後に…。前回の記事『短期間または単発の強ストレスは生命力を高める良薬となる』では、強ストレスはあなたを一気にアップグレードする、ということを述べました。それに対して今日の記事は、「小さな不便はあなたを毎日少しずつアップグレードする」ということになります。
“便利さ”が必ずしも悪いわけではありませんが、便利さだけでは脳も身体も“退屈”してしまうのです。だからこそ、あえて面倒くささや不便を日常生活に敢えて取り入れることが、あなたの生命力を高める秘訣だということになります。面倒なことを大いに取り入れましょう!
