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◆ 第12話 ── みのりの周囲の生徒の証言
水瀬あかりが、佐伯みのりが通う高校を訪れた翌日の朝、職員室には説明のつかない緊張感が漂っていた。
その理由の大きな一つは、やはり、昨日の水瀬あかりの来校によるものであった。この学校に集められている先生たちは、いわゆる超進学校における教育のプロとして、それなりに自信と誇りをもって授業や生徒指導に当たっていた。もし、今回の一件が無かったのなら、先生たちはいつものように授業準備をし、これまでの経験や知識を武器にして、生徒たちの理解が最も進むと思っていた方法にて授業を進めていくはずであった。
しかし昨日、水瀬あかりから、自分たちの専門領域における卓越したものの捉え方や、自分たちの教育観を根本から塗り替えなければならないような言葉をもらった。そのため先生たちは、もう一度原点に返って、自分たちの仕事を見直さなければならないという心境になっていたのである。
そして、二つ目には、次のような理由があった。
数学の先生・三浦が、コーヒーを置きながらぼそりと言った。
「…昨夜、色々と考えてたんですけどね… 佐伯みのりの理解力や洞察力が急激に向上した原因は、水瀬あかりさんにあるというのは分かったのですけど… ただ、それは周囲の生徒まで理解力が向上する理由にはならないですよね…」
物理の先生・高木が顔を上げる。
「やっぱり、そう思います?」
「思いますよ。だって……」
三浦は少し言い淀んでから続けた。
「ちょっと前から、すごく気になっていることがあるんですよ。…それは… 佐伯の席の周りだけ……空気が違うんですよ」
化学の先生・江藤が吹き出した。
「空気が違うって……三浦先生、スピリチュアルに目覚めました?」
「いや、違いますって! 本当に違うんですよ!」
三浦(数学)は珍しく声を荒げた。
「授業中、佐伯の席に近づくと……なんか、こう……頭が冴える感じがするんです」
「え? 普段から冴えているはずの三浦先生の頭が、更に冴えるんですか?(笑)」
江藤(化学)が、いたずらっぽい表情をしたあと、眉を少しひそめて言った。
「……それは、頭が冴える空気になっているということなんでしょうか……?」
高木(物理)は腕を組んだまま、真剣に考え込んでいた。
「……それ、現象として説明できる可能性はありますね…」
「あるんですか?」
三浦(数学)と江藤(化学)が同時に振り向く。
高木(物理)は指を折りながら、淡々と語り始めた。
「たとえば… 静電気、電磁波、電磁場の変化、空気イオン濃度の変化、CO₂濃度の変化、アロマ的な何らかの物質の存在、温度差による気流の偏り……」
江藤(化学)が苦笑する。
「いやいや…(笑)、そんなに出てくるんですか…」
「理論上はね。ただ……どれも決定打にはならないですけど…」
高木(物理)は少し照れたような表情になった。
「“空気が違う”という主観的な感覚を、科学的に説明するのは難しいですね」
三浦(数学)が机に突っ伏す。
「じゃあ、私の気のせいってことですか?」
「いや、気のせいじゃないと思いますけど…」
高木(物理)は静かに言った。
「周囲の生徒の集中力も上がっています。複数の生徒が“頭が澄む”と証言していますし…」
江藤(化学)が真顔になる。
「……つまり、佐伯の周囲で“何か”が起きているってことですかね?」
「そう考えるのが自然でしょうね…」
三浦(数学)がぽつりと呟いた。
「……佐伯から、何かが発せられている……とか?」
江藤(化学)が笑いかけて、しかし途中で止まった。
「……いや、でも……あり得ないとは言い切れないのが怖いですね」
高木(物理)は立ち上がった。
「測りましょう!」
「え?」
二人が同時に声を上げる。
「学校にある測定器を駆使して、佐伯の周囲を測ってみましょう。電磁波、静電気、空気質……できる範囲で…全部をです!」
三浦(数学)が目を丸くする。
「それで、何かわかる可能性はあります?」
「いや…、それはわかりません。でも、何もせずに“気のせい”で片付けるのは、もっと嫌でしょう」
江藤(化学)も立ち上がった。
「……やりましょう。ここまで来たら、もう、科学を志した人間の意地ですよ」
三人は顔を見合わせた。その表情は “ちょっと滑稽で…、でも本気” …そんな大人たちの顔だった。
高木(物理)が言った。
「まずは、佐伯の前後左右の生徒を呼びましょう。そして、彼らの証言を整理して、測定までする意味を確認しましょう!」
三浦(数学)が頷く。
「……よし。じゃあ、四人を呼び出しますか…」
こうして、先生たちの“秘密の科学調査”が静かに始まった。
◆ 四人の生徒の証言
昼休みに呼び出された四人の生徒は、みのりの前後左右の席に座っている生徒たちだった。職員室の隅に設けられた簡易スペースに、四人は少し緊張した面持ちで並んで座っていた。
高木が柔らかい声で切り出す。
「君たち…、集まってくれてありがとう。実は、ちょっと教えてほしいことがあってね…。それは、最近、君たちの理解力が急に伸びているように見えてね。…それで、その理由を知りたいんだ。どんな小さなことでも構わないから、気づいたことがあれば教えてほしいんだ」
四人はこくりと頷き、ゆっくりと話し始めた。
<1> 前の席の男子(落ち着いたタイプ)
「……なぜか… 集中しやすいんです。黒板の文字が、いつもより“入ってくる”感じで」
三浦が身を乗り出す。
「入ってくる?」
「はい。以前は、途中で分からなくなるようなところが、そのままスッと理解できるようになってきてるというか…… “あれ?! 今日も頭が動くな…” って思うんです」
高木がメモを取りながら頷く。
<2> 後ろの席の女子(感覚派)
「私は……なんか、空気が軽い感じがするんです」
江藤が反応する。
「場の空気が軽いってことかな…?」
「はい。授業中って、だんだん頭が重くなるじゃないですか…。でも最近は逆で……
頭の中がいつもクリアになっているっていうか…… 呼吸がしやすい感じなのです」
三浦が小声で「ほらね!」とつぶやく。
<3> 左隣の男子(普段はちょっとぼんやりタイプ)
「えっと…… なんか、眠くならないんです」
江藤が笑う。
「それは良いことじゃないか…」
「はい、そうなんですけど…… いつもは三限目くらいで絶対眠くなるのに、最近は全然眠くならなくて…… むしろ、頭が冴えてくる感じなのです」
<4> 右隣の女子(観察力が鋭いタイプ)
「私は……佐伯さん自身が、最近はかなり違って見えます」
三浦が眉を上げる。
「違って見える?」
「はい。授業中の佐伯さんって、“分かってる人の顔”をしてるんですけど…… 最近は、それがもっと強くなってきている…… “先に答えを知ってる人”みたいな感じなのです」
江藤が息を呑む。
「確かに…、私の授業でもそうだ…」
「はい。先生が説明する前に、佐伯さんの表情が “ああ、そういうことか”って変わるんです。最近は、もう、どの授業でもそんな感じなんです」
「それで、あなた自身は?」
「そんな佐伯さんに影響を受けてるんでしょうか…。 …そういえば、朝、佐伯さんが教室に来る前に私が先に席に座っていて、そのあとに佐伯さんが教室に入ってきて席に着いた時、何か… 頭がスーッと澄み渡るように感じるんです」
四人は互いに顔を見合わせた。そして、後ろの席の女子が頷いたのちに続けた。
「それ、言えます。佐伯さんが教室に入ってきて席に着くと、なんか空気が変わるような感じがします」
高木は深く息を吐いた。
「……やっぱり… 何かが起きているんだ…」
三浦が腕を組む。
「…ですよね…。感じたのは私だけじゃなかったんですよ」
江藤は真剣な表情で四人を見つめて言った。
「ありがとう。君たちの証言から共通点が見える。頭が冴える、空気が軽い、集中しやすい…… これは偶然じゃない」
高木は、他の先生と目を見合わせ、静かに言った。
「君たち、時間を取ってくれてありがとう。貴重な話が聞けたよ。もう、戻ってくれていいよ。 …ありがとう」
こうして、先生たちの“秘密の科学調査”は、次の段階へ進むことになった。
◆ 理系の先生たちが考えた測定計画
四人の生徒が職員室を出ていくと、三人の教師はしばらく無言のまま、その背中を見送っていた。
最初に口を開いたのは、高木(物理)だった。
「……やはり、測定は必要ですね。生徒たちの証言は主観的ですが、共通点が多すぎます」
三浦(数学)が頷く。
「そうですね…。“頭が冴える” “空気が軽い” “集中しやすい”…… どれも、単なる気のせいとは思えません」
江藤(化学)は腕を組み、少し考え込んだ。
「問題は、どうやって測るか…ですね。授業中に堂々と測定器を持ち込むわけにもいきませんし…」
高木(物理)は、机の引き出しから学校備品のリストを取り出した。
「まず、使えそうな測定器を確認しましょう。電磁波測定器、静電気測定器、簡易空気質モニター…… このあたりは理科準備室にあります」
江藤(化学)がリストを覗き込みながら言う。
「CO₂濃度計もありますね。気流の偏りを見るなら、温度計と簡易風速計も使えます」
三浦(数学)が小さく笑った。
「理科の先生って、こういう時、ほんと頼りになりますね…」
高木は苦笑しつつも、すぐに真剣な表情に戻った。
「問題は、どの授業で測るかです。佐伯の席の周囲を自然に測定できるタイミングが必要です」
三浦が提案する。
「私の数学の授業は、比較的自由に動けます。“板書の確認”という名目で、佐伯の周囲に近づくことはできますよ」
江藤も続けた。
「私の化学の授業でも、実験器具の配布などで動く機会はあります。ただ、測定器を持ち歩くのは不自然ですけどね…」
高木が静かに言った。
「では、こうしましょう。最初の測定は、私の物理の授業で行います。 物理は器具を持って歩くことが自然ですし、“温度分布の観察”という名目で測定器を持ち込んでも違和感はありません」
三浦が感心したように頷く。
「確かに…。物理の授業なら、生徒も不思議に思わないでしょうね」
江藤も同意した。
「じゃあ、最初の測定は高木先生にお願いします。私たちは、授業後にデータを一緒に確認しましょう」
高木は深く頷いた。
「了解しました。では、次の物理の授業で、佐伯さんの周囲の電磁波・静電気・空気質・温度・気流 、これらをできる範囲で測定します」
三浦が少し緊張した声で言った。
「……何か、出ると思いますか?」
高木はしばらく考え、静かに答えた。
「正直、分かりません。ただ……“何も起きていない”とは、もう言えませんね」
江藤が息を整えながら言った。
「じゃあ……いよいよ、ですね」
三人は互いに目を合わせた。その表情は、先ほどよりもさらに真剣で、しかしどこか高揚した色も混じっていた。
こうして、佐伯みのりの席の周囲をめぐる“科学的調査”は、いよいよ実測の段階へと進むことになった。
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