今回は、直近まで続けてきました“物語”ではなく、純粋な科学記事を発信します。テーマは「土(土壌)」です。
当サイトの検索窓から「土壌」というキーワードにて過去記事を検索しますと、『健康体を作るのは莫大な種類の土壌細菌たちである』が掛かってきます。また、土壌中の成分としてこれまでに書いたものとしては、『「フルボ酸」って何? ~その1:原材料になるリグニンの誕生~』や『「フルボ酸」って何? ~その2:その中身と有効性~』があります。これらが各論だとするならば、今回は「土」に関する総論にしたいと思います。
◆ 「土」という漢字の成り立ち
先ず、「土」という漢字の下のほうの長い横棒は、 “大地”を表わしていると解釈して間違いありません。
次に、「土」という漢字の縦の棒ですが、これは大地の “上部に出っ張っているもの“を意味していると解釈できます。もちろん、正確には、この文字を実際に作った古代の人に聞かなければ判りませんが、文字の歴史的研究の結果として出されている説のうち、“盛り上げた土”であったり、“地面に生えている植物”を示しているとする解釈が妥当だと言えます。
そして、「土」という漢字の、上のほうの短い横棒ですが、土を盛り上げた場合の“平らな上面” であったり、生えているの “植物の冠部”を表わしていると解釈できます。
以上のことを踏まえて、まとめるならば、「土」という漢字は、大地そのものの姿(象形)+人為的に盛られた土(宗教的象徴)+生命が生まれる(文化的象徴)、という三つの意味が込められていると言えるでしょう。
因みに、この解釈をする場合、月の表面や火星の表面に存在する“土のようなもの”は、それを「土」と呼ぶにはかなり抵抗が生じます。少なくとも、生命が生まれる可能性がゼロに等しいからです。
◆ 土壌の無い環境で育つことの怖さ
この記事で対象にする「土」の意味を厳密にするため、以降は「土壌」と表現することにします。
さて、何事であっても、それの大切さを知るためには、一度それを失ってみるのが確実な方法です。「無くなって初めてその大切さが身に染みてわかった」というのが世の常だからです。
昔の日本家屋は、家の中に居ても、壁は土壁、台所は広い土間になっていて、常に土壌と触れ合っていました。しかし、現代では土壌を失うことは比較的簡単です。あえて月に行かなくても、火星に行かなくても、北極に行かなくても体験できます。それは、大都市を作り、地面の全てをコンクリート、タイル、アスファルトなどで覆ってしまえば、それで実現できるわけです。
そして、そのような土壌の無い環境で過ごすことによって生じる“怖さ”の代表が、不健康や、特定の病気の増加です。「…健康には充分に注意して、体に良さそうなものを食べているのに…なぜこんな病気に…」「病院で薬ももらい、家の中は十二分に綺麗にしているのに…」…そんな声が聞こえてきそうです。
やはり、土壌が無くなることによる最大の弊害は、土壌細菌が激減することです。そして、その土壌細菌の大切さについては『健康体を作るのは莫大な種類の土壌細菌たちである』で書いた通りですので、その内容をここで繰り返すことはしません。代わりに、別の観点でお話したいと思います。
▼ 空中に舞っている土壌細菌量の比較
【農村部】
空気1立方メートルあたり、数千〜数万個の土壌細菌が含まれています。
【大都市】
空気1立方メートルあたり、数百〜数千個程度にまで減少します。
つまり、大都市の空気中の土壌細菌の量は、農村部の1/10〜1/100倍にしかならないということです。逆に、排気ガス由来の粒子、PM2.5、微小なプラスチック片、工場由来の化学物質などが多くなります。
▼ 土壌細菌が空中に舞う理由
その理由は次のようです。風が土壌表面を撫でる、微生物が付着した土粒子が舞い上がる、雨滴が土壌を叩いて微生物を飛散させる、植物の根圏から微生物が放出される、虫や動物が土壌をかき混ぜる、などです。
これらの作用によって、土壌細菌が常に空中へと放散されています。特に、森林や農地では、土壌細菌が霧のように空中に漂っています。
▼ 農村部の空気中の細菌の種類
農村部の空気には、人の腸内細菌叢の多様性を高める細菌種が豊富に含まれています。それは即ち、酪酸産生菌、メタン生成菌、解毒細菌、リグニン分解菌、根圏菌、放線菌、菌類の胞子などです。
これらを、口から吸い込む、鼻から吸い込む、喉の粘膜に付着する、消化管へと到達する、というルートにて、腸内細菌叢の多様性を高め、維持することになります。
だからこそ、農村部の子どもは、もちろん個人差はありますが、平均的にはアレルギーが少なく、心身共に健康であり、情緒も安定しています。大人も、同様の傾向をもち、慢性炎症も抑えられるため、健康長寿になる傾向がみられます。
なお、情緒の安定には、土壌細菌の一つであるマイコバクテリウム バッカエ(Mycobacterium vaccae)が脳のセロトニン系に作用し、不安の軽減、ストレス耐性の向上、抗うつ効果を示すことが分かっています。また、健康長寿には、アッカーマンシア、ファーカリバクテリウム、メタノブレビバクターなどが特に大きく関与していることが分かっています。
▼ あえて土壌に直接触れることのメリット
空気中にも土壌細菌は舞っていますが、土壌中の細菌の量は桁違いに多いです。農村部の空気1立方メートルあたり数千〜数万個と上述しましたが、土壌が1グラムあれば、そこには数億〜数十億個の土壌細菌がいます。
従いまして、土壌に触れた後に手をなどを消毒・殺菌しない限り、例えば手についている土壌細菌は、直接または間接的に全身の皮膚上や消化管内に到達し、皮膚常在菌や腸内細菌となり、様々な形で健康体を作ることに貢献します。
国によっては、土壌を食べる習慣を持っていることがありますし、日本でも農家さんが畑の土を食べて状態を確かめることがあります。そのような行為により、圧倒的に多数の土壌細菌を摂取することが可能になります。
要するに、土壌中の土壌細菌の濃度と種類は、空気中に比べると桁違いに多いため、土壌に直接触れることは、自然環境の恩恵を最も濃縮された形で受け取れることになるわけです。
◆ 土壌から発生する揮発性物質(Soil VOCs)
土壌からは、次に挙げるような揮発性物質も放散されていて、それも私たちの健康増進に働いています。
① ジオスミン(Geosmin)
これは、“雨の匂い”及び “土の匂い”の正体です。放線菌(Streptomyces)が産生する物質で、森林浴をした場合の“安心感”の主要因でもあります。嗅覚を通じて脳の辺縁系に作用し、情動安定に寄与する可能性のある物質です。
② 2-メチルイソボルネオール(2-MIB)
これも土壌の香りの主要成分で、森林の “湿った香り”の源です。放線菌や藻類が産生する物質で、リラックス効果が期待できます。
③ テルペン類
植物だけでなく、土壌微生物もテルペン類を産生します。例えば、α-ピネン、β-ピネン、リモネン、カンフェン、ミルセンなどです。
つまり、“森の香り”は、植物だけでなく土壌微生物も作っているということです。そして、これらには、抗不安・抗炎症・認知機能改善の作用が知られています。
④ アルコール類・ケトン類・エステル類
土壌微生物は、その他にも、植物と同じく多様な揮発性物質を産生します。2-ヘキサノール、3-ヘプタノン、酢酸エステル類、ブタノール類などが代表的です。
そして、これらは、抗菌作用・免疫調整・情動安定 に関わる可能性が示されています。
⑤ 土壌由来の“精神安定物質”
これは、上述しました、Mycobacterium vaccae(マイコバクテリウム バッカエ)が産生する揮発性物質です。主には、アルコール類、アルデヒド類、ケトン類の混合物であり、セロトニン系の活性化、不安軽減、抗うつ作用、ストレス耐性の向上などに働いていると考えられます。
◆ 土壌とは具体的にどのようなものなのか
少なくとも、地球の陸地の表層に存在する土壌は、一般的には次のような構成比になっています。
【固体(鉱物・有機物):約50%】
鉱物と有機物の割合は、場所によって大きく異なります。例えば、森林の表層であれば、鉱物は極度に少なく、殆どが有機物になります。
そのうち、有機物は、次の4つに分類することができます。
① 植物由来の一次有機物
リグニン、セルロース、ヘミセルロース、タンパク質、脂質
② 微生物由来の二次有機物
菌体残渣、代謝産物、バイオフィルム
③ 腐植物質(Humus)
フミン酸、フルボ酸、ヒューミン
④ 動物由来の有機物
昆虫・ミミズ・小動物の排泄物など
【水:20〜30%】
【空気:20〜30%】
という構成比になります。
生態系が豊かな場所であるほど、その表層の土壌は、生物由来のもので占められています。地球の土壌は、生物によって作られたものだと言うことができるでしょう。
◆ 土壌はフィトンチッドの質を決める
植物が放つフィトンチッドは、土壌の状態によって大きく変わります。例えば、土壌微生物の種類、湿度、温度、有機物量などが大きく影響します。
従いまして、より良いフィトンチッドを多く放散させようと思うのであれば、より“豊かだ”と言える土壌を維持する必要があります。言い換えるなら、市街地に街路樹として植えた樹木よりも、森林の中に生えている樹木のほうが、より良いフィトンチッドを多く発散することになります。「緑化計画」とは、単に緑の多さだけでなく、その部分の土壌の豊かさ、生態系の豊かさを高めなければならないことになります。
また、多くの植物は水耕栽培でも育てることができますが、その場合は土壌がありませんので、フィトンチッドも、植物体内に含まれる有効成分も、一般的には貧弱になります。
また、『虫にかじられない植物には人を癒す力は無い』で述べましたように、虫にかじられた植物は、防御のために青葉アルデヒド(シス-3-ヘキセナール、トランス-2-ヘキセナール)などを発散します。そして、それを人が吸い込んだとき、癒されたり元気づけられたりします。逆に言えば、虫のいない植物工場で育っている植物も、フィトンチッドや有効成分が貧弱になるといことです。
◆ おわりに
医療機関で診てもらった時、どうも原因が分からない、別のものが原因だと診断されて治療を進めても改善されない、ということは結構あると思います。また、年齢以上に早く老けてしまうと思っている人もいることでしょう。そんな時、土壌や土壌細菌のことを思い出してみて頂きたいと思います。
一方で、毎日ほど農作業で土に触れているけれど、病気がちだという場合は、栄養素の欠乏や過労など、他の原因を探してみて頂きたいと思います。ただ、病気の原因の一部になっている不具合の対症療法として医薬品が有効である場合はありますが、医薬品は治療の一部として使えたとしても、健康増進のためには使えませんので、ご注意願います。
因みに、今の日本において、毎日何らかの薬を飲み続けている人の割合は、50代では約3人に1人、60代では約半数、70歳以上では約7割です。もう、これは明らかに異常な状態です。もう一度、土壌の恩恵に着目していただければと思います。
