《今回のアイキャッチ画像(高解像度版)》
◆ 第55話 ── 育脳エフェクター試作機の評価
大学のベンチャー企業が多数入居する研究棟の最奥にstnv基礎医学研究室がある。この研究室は、基礎医学系の情報提供を主要な業とするが、それらの基盤となる自然科学の全般を視野に入れたボーダーレスな研究活動を行っている。その研究活動の結果として生まれたものの例が、LifeSignal Generator(LSG;生命信号発生装置)、PhytoCore(フィトンチッド放散装置)、PhotoSignal Modulator(PSM;揺らぎを再構成する光源ユニット)などであり、今回のお話に登場する「育脳エフェクター」の提案や、新しい概念としてN‑Sync Wave(Neural Synchronization Wave;神経同期波)の提唱も行っている。これらは、現代人が失いかけている、或いは忘れ去ろうとしているものの中から、人が健全に育ち、かつ長寿を全うするために必要なエッセンスを選び抜き、最新の技術によって効率よく人に還元するためのものである。ちなみに「育脳エフェクターは」、電子化された楽器の短所を克服し、アコースティック楽器または生楽器の育脳効果を上回ろうとする装置である。
◆ アストレア楽器がstnv基礎医学研究室に
アストレア楽器株式会社・天野社長の言葉が、社員たちの背中を押した。
「水瀬さんに会社まで来ていただくのは申し訳ない。試作機の確認は、こちらから伺いましょう」
その日の午後、研究室の扉が静かに開いた。
「失礼します……」
山本、中村、大野の3名が、慎重な足取りで試作機を運び込んだ。
試作機の筐体は大きめで、内部には7系統の処理ユニットが組み込まれていた。原理試作とはいえ、アストレア楽器が総力を挙げて組み上げた装置だった。
研究室では、予め連絡を受けていたあかりが既に待っていた。
白衣の袖を軽く整えながら、穏やかに微笑んだ。
「お疲れさまです。試作機、持ってきてくださったんですね」
「はい……本日、初期動作の確認をお願いしたくて……」
山本の声は、緊張でわずかに震えていた。
そのとき、研究室の奥からBoss(清水)が姿を見せた。
「ようこそ。アストレア楽器の皆さん」
3人は一斉に頭を下げた。
(……あ… この方が…この研究室のTOPの方…)
「はじめまして…。水瀬さんには、大変お世話になっております。今日は、ご指導いただいてます育脳エフェクターの試作機をお持ちしました」
「ありがとうございます。水瀬から伺っております。どうぞ、準備を始めてください」
◆ 育脳エフェクター試作機の動作確認
試作機が、計測台の中央にそっと置かれた。
あかりは、それを見て3人に言った。
「……ここまで形になったんですね。すごいです」
その一言だけで、3人の胸が熱くなった。
あかりは、計測台の横にあるオーディオインターフェースを指差した。
「試作機への入力ですが、今日は研究室の標準テスト音源を使いましょうか…。装置そのものの性能を評価したいので、演奏者による揺らぎが入らないほうがいいですから…」
山本が頷いた。
「なるほど…確かに… ギター演奏だと波形が安定しないでしょうからね」
テスト音源のリストには、ホワイトノイズ、ピンクノイズ、20Hz〜150kHzのスイープ信号、標準楽器波形(ギター・ピアノ・シンセのサンプル)があった。
「今日は、このスイープ信号と標準楽器波形を使いましょう。これなら、試作機がどの帯域でどれだけ反応しているか、正確に評価できます」
あかりは、そう言って、試作機の入力端子にケーブルを接続した。
次に、山本がエフェクターのスイッチを入れた。
「では、テスト音源を流しますね」
研究室に、淡いスイープ音が広がった。試作機の内部モニターが反応し、7系統の処理ユニットが動き始めた。
山本が、試作機の側面にある小さなモニターを指差した。
「こちらが、内部処理の診断用モニターです。各系統の信号がどの程度出ているか、ここで確認できます」
モニターには、7系統の処理のうち、「情動波形」「脳波誘導」「倍音構造」「超高周波生成」などの内部信号が簡易的に表示されていた。
中村が、画面を見ながら言った。
「情動波形は……一応、出ていますね。揺らぎの方向性も、昨日より安定している気がします」
大野も、別の表示を見て頷いた。
「脳波誘導の周期も……なんとなく整ってきた感じがします。倍音構造も、昨日より広がっているような……」
3人は、モニターを見ながら次々と口にした。
「空間波形も、少し出ている感じがします」
「内部の密度が、昨日より高い気がします」
「音の“触れ方”が、柔らかい感じがします」
その評価は、出力側のモニターと、人の感覚によるものだった。
Bossは、少しだけ首を傾げて言った。
「……ところで、実際に出ている音を拾って計測しました?」
3人は、はっとしたようにBossのほうを向いた。
山本が、申し訳なさそうに答えた。
「いえ……会社には、可聴音+α程度までしか拾えない、一般的なマイクしかなくて…… 超高周波音を捉えられる機材が無いんです」
中村も続けた。
「内部の電気的な波形は確認しましたが、“空間に放射されている音”の実測は……まだできていません」
Bossは頷き、棚からマイクケースを取り出した。
「では…、うちのマイクで計測してみましょう。150kHzぐらいまでなら正確に拾える構成です。これなら、試作機が実際に放射している音を確認できます」
3人は、一気に緊張した表情になった。
(……本物の計測が始まる……)
(……内部モニターだけでは分からなかった部分が……)
(……いよいよ、試作機の“本当の姿”が見える……)
Bossはマイクを計測台に設置し、あかりが解析ソフトを立ち上げた。
「では、実測に入りましょう。試作機を起動してください」
◆ マイクによる実測開始
山本が深呼吸し、スイッチを押した。
筐体内部のフルレンジスピーカーと、その上層でスーパートゥイーターが微細な振動を放った。しかし──問題はここからだった。
Bossはマイクを試作機から1.5m離れた位置に置き、計測を開始した。
波形が、アナライザーの画面に走った。しかし──
bossが静かに言った。
「……超高周波域のレベルが小さいですね…」
あかりも、アナライザーの画面を見つめた。
「はい…。目的の波形は、出ているものと、ほとんど出ていないものがありますね」
中村が息を呑む。
「……やっぱり……内部モニターだけでは分からなかった部分が……」
大野は、画面に映る弱い高周波成分を見て、肩を落とした。
「……空間波形も……弱いですね……」
Bossは言った。
「やはり、ネックは、内部モニターよりも後のステップですよね。なかでも、スピーカーの超高域再生能力が低いことが多いですから、別のものに交換しましょう。あと、同じ周波数帯なのに、それだけ弱い場合、その系統の処理ユニットの出力を見直しましょう」
◆ あかりによる内部チェック
あかりは、試作機の背面パネルを開き、内部の処理ユニットを丁寧に確認した。
「ここですね。超高周波生成系の出力段が少し弱い。この部分のインピーダンスを調整することや、スーパートゥイーターを別のものに交換してみましょう」
あかりは続けた。
「情動波形の抽出系は、揺らぎの微分処理が少し粗いので、ここを細かく刻んでください。そうすれば、波形の安定度が上がります。脳波誘導系は……補正量の方向性が少しずれていますので、ここを修正すれば、周期が整うはずです」
山本たち3人は、必死にメモを取った。
そして、あかりは3人のほうを向き、柔らかく微笑んだ。
「でも…、ここまでできたことは、本当に素晴らしいです。原理試作で、ここまで波形が出ているのは驚異的です。あと一息です。必ず完成します」
その言葉は、研究開発部の3人の胸に深く響いた。
(……そう言ってもらえるなんて……)
(……本当に……あと一息なんだ……)
(……絶対に完成させる……)
◆ Bossの拡張提案
Bossは、期待を込めて話した。
「ところで……これはエレキギター専用に設計されていると思いますが、もし可能なら、他の電子楽器もつなげるように出来るといいですね」
3人が一斉にBossのほうを向いた。
「えっ……?」
Bossは続けた。
「電子ピアノ、シンセサイザー、電子ドラム、デジタル管楽器など、今では電子楽器のほうが圧倒的に種類が多くなりましたよね。インピーダンスや信号レベルを可変にして、ステレオ入力にも対応させれば、他の電子楽器につなげられますし、そうすれば需要は一気に広がると思いますね」
山本は、目を見開いた。
「……確かに…… ギター専用にしてしまうのは、もったいない……」
Bossはさらに続けた。
「ギター専用の廉価版と、他の電子楽器につなげられる高機能版に分けてもよいでしょうし…。それと、出力側も、家庭用のオーディオ機器への出力も可能にしておくと良いと思いますね。そうすれば、大音量にしない限りは、アンプを買い足す必要もなくなりますし…」
中村が深く頷いた。
「……確かに…… オーディオ機器に直接つなげるのは大きいですね……」
Bossは、もう一つだけ付け加えた。
「それから……これは先ほど言ったのとは別ですが、マイクの小さな入力でも稼働できるようになればいいですね。音声が色々と変換できるようになると、カラオケが凄く楽しくなりますし……その声を聞くと頭が良くなります(笑) また、「美声」モードがあると、アナウンサーの人が使いたくなるでしょうし… 「集中力」モードがあれば学校の先生も使いたくなる…。「睡眠」モードがあれば、大事な話をしていても相手は眠ってしまいますが、これは睡眠導入に使えます。「神の声」モードがあると、誰も反論できなくなります…。「心を奪う」モードがあると、プロポーズの時に使えるんじゃないですか…。「お笑い」モードにすると、しょーもない話でも面白く聞こえるので、噺家さんだけでなく皆さんも使えます! …ちょっと、あかりさん、止めて」
「はい! Boss、そこまでっ!! …すみません、こういう人なものですから…」
研究開発部の3人は、思わず笑ってしまった。しかし、その提案の“本質”はすぐに理解した。
大野が言った。
「……つまり……育脳エフェクターを“楽器専用”ではなく、“音の内部構造を変換する装置”として広げる……そういう方向性ですね……!」
Bossは軽く頷いた。
「そうですね。そのほうが、装置の価値が一気に広がる気がします。一家に一台の時代が来ることでしょう」
あかりも、静かに微笑んだ。
「Bossの言う通りです。育脳エフェクターは“音の内部構造”を扱う装置なので、入力源がギターである必要はありません。むしろ、電子楽器や音声のほうが扱いやすい部分もあります」
3人は、まるで新しい地図を手にしたような表情になった。
◆ 試作機は次の段階へ
計測結果は、決して完璧ではなかったが、「育脳エフェクターとしての最初の一歩」としては十分すぎる成果だった。
アストレア楽器の3人は、試作機を丁寧に片付けながら、胸の奥に強い決意を抱いていた。
「必ず仕上げます。次は、もっと強い波形を出せるようにします」
あかりとBossは、静かに頷いた。
「楽しみにしています」
stnv基礎医学研究室の空気は、多くに人に喜んでもらえそうな、世界初の新機能搭載のエフェクターの誕生が間近であることを物語っていた。
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