《今回のアイキャッチ画像(高解像度版)》
◆ 第14話 ── 計測前に言葉を失った大学教授
昨日、佐伯みのりの周囲から得られた各種のデータを、物理の教師である高木が職員室の自分の席で見直していた。
空気質モニターでのCO₂濃度のわずかな下降、電磁波測定器による数値の若干の低下、風速計のプロペラが一度回転したにもかかわらず低値、デジタル温度計の値のわずかな低下、静電気測定器の値の少しの上昇…。これらの変化は、その全てが大きなものではなく、誤差範囲に相当する小さなものであっが、測定器がみのりに渡った時にだけ起こったのである。
仮に、何らかの測定器の数値がもう少し大きく変化したのであれば、その測定項目の対象がその場所だけ異なっていたことになるが、それにしては値の変化が小さすぎたのである。
それでも、みのりの席だけ、試した全ての測定器が揺らいだことが、理解し難い現象だということなのである。
高木は、みのりの席で起こった各測定器の反応について、恐怖心こそ織り込み済みになったが、その現象が理解できず、今日も頭を悩ませていた。
(……もちろん、測定器はデリケートなものが多く、強地場、強電場、高温、超音波などによって影響を受けることはある。…そのことは十分理解しているが… ただ、あの場所は一般的な教室だ… また、佐伯みのりは普通の人間のはずだ… 計測器を狂わせるような何らかの強烈な場を作り出すはずが無い… ……なんでだ… なぜあんなことが起こる……)
そのとき、化学の教師である江藤が声をかけた。
「高木先生… 先生が今、何を考えているか分かりますよ…。 昨日の測定結果の件でしょ…」
「ええ、そうです… もう、全く理解不能です。 ……でも、このまま見過ごすことは自分の性格として、絶対にできない気がします」
江藤は、ちょっと作り笑いをしながら高木に言った。
「こういう現象を追求することが大好きな人、世の中にはいますよね!?」
高木の表情が、何かをひらめいたように変化した。
「あっ、そうだ…! 大学の恩師に聞いてみようかな…。その先生、凄く好奇心が旺盛で、私もけっこう影響を受けたように思いますよ(笑)」
その話を横で聞いていた数学教師の三浦も、話に加わってきた。
「それ、いいじゃないですか! 行きましょうよ! 高木先生の母校の大学に…」
◆ 高木は恩師と連絡を取る
高木は、母校である大学の研究室に電話を掛け、電話を取った事務の女性が高原教授に繋いでくれた。高木と高原教授は、数年ぶりの会話であったため、互いに懐かしさが手伝って昔話が長くなりそうだったが…
「実は…先生、ちょっと信じられないことが起こったんです」
「え? どうしたの?」
「うちの学校の2年生で、急に能力が向上したように思える生徒がいまして…、教室内に複数の測定器を持ち込んで、いろいろと測定してみたんです。すると、その生徒の席だけ数値が少しだけ変化したんです。それも、全ての測定器でそのような変化が現れたんです。…ですから、私にはその原因が全く分からなくて…」
電話の向こうから、いかにも好奇心旺盛であることが伝わるような、教授の返事が返ってきた。
「高木君、そのデータをもって、私のとこに来てよ。時間とれる?」
「ありがとうございます、先生! 授業が終わってからの夕方でもいいですか?」
高木の表情が、久しぶりに明るくなった。
「ちょっと待ってね…… …うん、今日の夕方、大丈夫だよ! じゃ、待ってるね」
◆ 3人の理系教師が大学を訪れる
江藤と三浦も一緒であったため、高木は2人を高原教授に丁寧に紹介した。教授は、3人の教師を研究室の奥へ案内し、散らかっていた机の上を慌てて片付けながら言った。
「いやぁ、久しぶりだねぇ、高木君。 …それで……例の“データ”というのは?」
高木は、持参したファイルを机の上に置いた。江藤と三浦も、緊張した面持ちで教授の表情を伺う。
教授は、CO₂濃度、電磁波、温度、風速、静電気──それぞれの測定ログを順番に目で追っていった…。
ページをめくるたびに、教授の眉間に皺が寄っていく。
「……ふむ。どれも変化は小さい。小さいが……全部“同じ席”で起きているの?」
「はい。佐伯みのりという生徒の席だけです」
高木は静かに答えた。
研究室の時計の秒針の音だけが響く。
教授は、しばらく黙り込んだが、おもむろに口を開いた。
「……これはね、単一の物理現象では説明できないよ。CO₂、温度、静電気、電磁波……
これらが同時に“わずかだけ”変化するなんて…、普通はありえない」
江藤が小さく息を呑んだ。
「先生、やはり……何かあるんでしょうか…」
教授は腕を組み、天井を見上げた。
「この現象、物理だけで考えるのは限界がある。……ちょっと、別の先生に相談してみよう」
「別の先生……ですか?」
「うん。脳科学の佐野先生。彼とは昔からの付き合いでね。“脳と環境の関係”を研究しているんだ。今回の件、彼なら何かヒントをくれるかもしれない」
教授は電話を取り、内線番号を押した。
「──ああ、佐野先生? ちょっと面白いデータがあってね。今から研究室に来られる?」
電話の向こうで、短い返事が聞こえた。
「……来るそうだ。彼もこういう話が大好きでね」
高木は、胸の奥がざわつくのを感じた。
(……本当に、ここまで来てしまった…)
◆ 数分後に脳科学の佐野教授が現れる
ノックの音とともに、白衣姿の男性が入ってきた。落ち着いた表情だが、目だけが鋭く光っている。
「こんにちは。例の“興味深いデータ”というのは……これですか?」
高原教授がファイルを渡すと、脳科学の佐野教授は静かにページをめくり始めた。
そして──わずか数十秒で、表情が変わった。
「……これは、面白い。いや、面白いなんて言葉では足りないかもしれない」
高木が思わず身を乗り出した。
「先生、どういうことなんでしょうか…」
佐野教授は、ファイルを閉じて言った。
「まずは、その生徒さんの“脳波”を測らせてもらえませんか。環境に影響を与えるほどの変化があるのなら、脳活動にも何らかの特徴が出ている可能性がある」
江藤と三浦が顔を見合わせた。
「高校生を……大学の研究室に呼ぶんですか?」
「異例ですけどね。しかし、これは現象そのものが異例ですから…。倫理的な配慮はもちろんします。保護者の同意も必要ですが…。ただ…これは、今すぐにでも調べる価値があります」
高木は、静かに頷いた。
「……分かりました。佐伯みのりに、話をしてみます」
佐野教授は、にこりと笑った。
「ありがとうございます。では、準備を進めておきます。測定は……明日でも大丈夫ですか?」
「はい。明日、連れてきます」
高木は、胸の奥に少々の戸惑いと、解決できるかもしれないというワクワク感を抱えながら、研究室を後にした。
(……佐伯…。君の身に、一体何が起きているんだ…)
◆ 翌日──みのりは大学の研究室へ
翌日、高木は佐伯みのりを連れて大学を訪れた。みのりは緊張した様子もなく、いつものカバンを肩にかけて歩いている。そして、そのカバンの中には、いつものようにLifeSignal Generator が入っていた。
高木は、みのりと一緒に歩いているとき、これまでの異常現象を思い出し、胸がざわついた。
脳科学研究室の前に到着し、ノックして入室すると、白衣姿の大学院生がドアのところまできて丁寧に頭を下げてくれた。
「高木先生と佐伯さんですね。こちらへどうぞ」
みのりが軽く会釈すると、奥から佐野教授が姿を見せた。
「佐伯さん、初めまして。私は佐野といいます。今日は協力してくれてありがとうございます。少しだけ、お話してもいいですか…?」
みのりは素直に頷いた。
「はい。あの……何をするんですか?」
佐野教授は、みのりの目線に合わせるように少し腰を落とし、柔らかい声で説明した。
「あなたの“頭の中の電気の動き”──つまり脳の活動を、少しだけ測らせてもらいたいんです。痛みはまったくありませんし、危険もありません。ただ、あなたが普段どんなふうに頭を使っているのか、その“リズム”を見たいだけなんです」
みのりは、少し考えてから言った。
「……頭の中のリズム、ですか?」
「そう。人によって違うんですよ。音楽みたいに、ゆっくりだったり速かったり…。佐伯さんのリズムが、どんなものなのか知りたいんです」
みのりは安心したように微笑んだ。
「分かりました。やってみます」
佐野教授は満足そうに頷き、大学院生に目配せした。
「では、お願いします」
みのりは脳波測定用の椅子に座り、大学院生がみのりの頭部に電極を丁寧に装着する。
「痛くありませんからね。リラックスしていてください」
みのりは静かに目を閉じた。
測定器のモニターには、安定したα波がゆっくりと流れていく。
佐野教授が小さく頷いた。
「……非常に落ち着いていますね。では次に、“集中状態”の脳波を取りましょう」
高木が息を呑む。
(……来た…)
大学院生が、みのりに2枚のプリントと白紙の計算用紙を手渡した。
「……ちょっと、手元に適当なものが無くて…… これは、大学の授業でも使っている、物理の基礎問題です。もちろん、難しいと思いますので、解けなくても全然大丈夫です。ただ、何かに集中している状態を作りたいので…少しだけ取り組んでみてください」
みのりはプリントを受け取り、静かに目を通した。
<<<大学物理・基礎問題>>>
問題A(力学)
質量 \(m\) の小球が、長さ \(L\) の軽い糸で吊り下げられている。小球を水平に引いて静かに離したところ、糸が鉛直方向となす角度が \(\theta\) の位置で速度 \(v\) となった。空気抵抗は無視できるものとする。
(1) 速度 \(v\) を \(g, L, \theta\) を用いて表せ。
(2) 小球が最下点を通過する際の張力 \(T\) を求めよ。
問題B(電磁気)
半径 \(R\) の円形コイル(巻数1)が、時間とともに
\[
B(t) = B_0 \cos(\omega t)
\]で変化する一様磁場の中に置かれている。
(1) コイルに誘導される起電力 \(\mathcal{E}(t)\) を求めよ。
(2) \(\mathcal{E}(t)\) の最大値を求めよ。
問題C(波動)
弦の線密度を \(\mu\)、張力を \(T\) とする。弦の両端を固定したとき、基本振動数 \(f_1\) を求めよ。また、3倍振動数 \(f_3\) を求めよ。
//////
研究室の空気が張り詰めた…。
佐野教授は、脳波計の画面を見つめながら言った。
「佐伯さん。では、始めてください」
みのりは、ペンを持ち、一緒に渡された計算用紙に淡々と何かを書き始めた。
大学院生が、脳波計のベースラインの修正が必要であることを教授に伝えた。
「先生、ちょっとベースラインが高くて振幅も大きすぎるんです。調整していいですか?」
「うん、調整してっ。 ……いつも、これぐらいの感度で測定してるんだけどなぁ… 部屋の中、他の機械の電源は落としてるよね…」
大学院生は、それを確認するために、部屋に設置してある機器類の電源を一つずつ確認して回った。
◆ 異常事態の発生
ベースラインの安定化や周囲の機器類の電源の確認作業で、およそ2分が経過したとき、みのりが小さな声で言った。
「先生、終わりました…」
佐野教授も、大学院生も、そして高木も、一瞬意味が分からなかった。そして、佐野教授が答えた。
「……何が終わった? もうすぐ測定に入れるので、さっきの問題用紙をそのまま眺めていてもらってていいですよ」
みのりは、もらったプリントの解答用紙のほうを差し出して言った。
「あのぉ… 問題、解き終わりました」
<<< みのりが約2分で書いた解答>>>
問題A
(1)
\[
v = \sqrt{2gL(1-\cos\theta)}
\]
(2)
\[
T = mg(3 – 2\cos\theta)
\]
問題B
(1)
\[
\mathcal{E}(t) = \pi R^2 B_0 \omega \sin(\omega t)
\]
(2)
\[
\mathcal{E}_{\max} = \pi R^2 B_0 \omega
\]
問題C
\[
f_1 = \frac{1}{2L}\sqrt{\frac{T}{\mu}}, \qquad
f_3 = \frac{3}{2L}\sqrt{\frac{T}{\mu}}
\]
//////
大学院生は、何を渡されるのかといった怪訝な表情で、みのりから解答用紙を受け取った。そして、それを見た瞬間、大学院生の表情が急変し、目が見開き、瞳孔もいっぱいに開いた。そして、大きな声をあげてしまった。
「ええーーーっ!」
モニターの前にいた佐野教授は、その大学院生の大声に驚き、みのりが書いた解答用紙が大学院生から手渡された。
「わぁ… えーーーっ!! ……」
そして、大学院生に向かって
「この答え合ってる? 解答例と照らし合わせてみてっ」
大学院生は、横の机の上に置いていた解答例と、みのりが書いた答えとを突き合わせた。
「…… う、うそ… …全部… …合ってる…」
少し離れた位置で様子を見ていた高木は、大学院生と佐野教授の驚きようを見て、それがただ事ではないと悟った。そして、みのりに渡されていた問題用紙と、みのりが書いた解答用紙を大学院生から受け取って目をやった。
高木はそれを見た瞬間、今までに体験したことのないような衝撃が全身を走った。
(……こ、これは… ……なんということだ…。 …この問題、難関大学の受験対策として3年生になった時に行うレベルのもの… 佐伯は2年生なのに… しかも、あの短時間で…)
高木は、とうとう全身が震え出した…
みのりが大学院生からもらっていた計算用紙の方には、その答えに至るまでの計算式が、女子高生らしい丸っこい文字で、速記したような軽い感じで書かれていた。すなわちそれは、解答に至るまでの計算式である。
大学院生は、高木から返されたプリントを手にしたまま固まっていた。そして、佐野教授も高木も、言葉を失っていた。静まり返った測定室には、脳波計の「ピッ……ピッ……」という小さな待機音だけが響いていた。
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