教育者たちの決意――世界の宝を育てるために

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佐伯みのり
◆ 第20話 ── 高校での歴史に残る職員会議

月曜の午前中の授業を終え、職員室へ戻ってきた直後の高木のスマホが震えた。画面には、高原教授の名前が表示されていた。高木は、急いで通話ボタンを押した。
「はい、高木です」

「高木君。今、少し時間ある?」
電話の向こうの声は、いつもの落ち着いた調子だった。

「はい。大丈夫です」

「実はね、佐伯みのりさんが、うちの研究棟の奥にあるH-HIMを、土曜日の午後に体験してくれたんだよ」

高木は思わず聞き返した。
「え? 何ですか? その……エイチ・ヒムって……」

高原教授は、少し笑った。
「これはね、うちの大学と共同研究している外部研究室のメンバーで、水瀬あかりさんという人が考案した装置でね…。地球上で火星の環境を体験できるんだよ。それで、水瀬さんが、直接に佐伯さんを連れてきて案内したんだよ」

高木の脳内で、何かが音を立てて繋がった。
(……水瀬あかりさん……どこかで聞いた名前……あっ、そうだ!!)
「先生! 私、その水瀬あかりさんを知ってます」

「えっ? でも、高木君がそっちの高校に行った後に、水瀬さんとこと共同研究が始まったんだよ。だから、接点は無かったはず…」

「いや、先生! 佐伯みのりを、すっかり別人のように変えてしまった人として、直接お話を伺いたくて、うちの高校にも少しの時間でしたが、お話に来ていただいたんです!」

高原教授は、電話の向こうで軽く息を飲んだようだった。
「あ、そうだったの?! 世の中、狭いよね〜(笑)」

高木は、胸の奥がざわつくのを感じた。
(あの女性が…火星の環境を体験できる装置を…… …そっか…佐伯への物理の指導、化学の指導…… あの…悟りきったような受け答え……全部、繋がってきた……)

「ところで、高木君…。佐伯さんの飛び入学の件や、高校在学中にも大学の研究室への出入りを許可してもらう件、どうなった?」

高木は深く息を吸った。
「はい、先週末に、佐伯みのりのお母さんに、高原先生のお話を丁寧に伝えました。その結果を踏まえて、今日の夕方から職員会議の予定です」

「そうか。じゃあ、また結果を教えて」

「はい、真っ先に、先生に報告します」

通話が切れたあと、高木は席に座ったまま、しばらく動けなかった。
(……あの研究棟の奥に、火星を体験できる設備が出来ていたなんて…。 しかも…水瀬あかりさんの考案… あの若いはずの女性が…… 凄すぎる…。 …そして、佐伯みのりがそれを土曜日に体験した……)

高木は、お弁当を食べながら、脳裏には、あかりさんが来校したときの出来事がよみがえっていた。
やがて、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、先生たちは午後の授業の準備を始めていた。高木も、机の上の資料を整えながらも、夕方の職員会議のことを思っていた。
(……今日の会議……きっと、学校中が揺れる……。そもそも、大学側から正式に飛び入学を望まれた生徒など、この学校の歴史には一度もないはずだ…)

午後の授業開始のチャイムが鳴り、高木はいつも通り教室へ向かったが、心の奥ではずっと、夕方の職員会議のことが静かに渦を巻いていた。

◆ 夕方の職員会議
放課後――職員会議のために準備された視聴覚室は、いつもとは違う緊張感を帯びていた。

校長が前に立ち、資料を手に静かに口を開いた。
「では……本日の職員会議を始めます。今日の議題は、佐伯みのりさんの件です」

室内の空気が、わずかに揺れた。高木は、前列の席で資料を手にしながら、校長の言葉を待った。

「このたび、大学側から正式に、佐伯さんの“飛び入学”を希望する旨の連絡がありました」

ざわっ──室内の雰囲気が一気に変わった。
「飛び入学……?」
「大学側から……?」
「そんなの、聞いたことがない……」
教員たちの小さな声が、あちこちで漏れた。

校長は続けた。
「さらに、佐伯さんが当校に在学している段階から、大学の研究室への出入りを許可してほしい…という要望がありました。要するに、少しでも早く佐伯さんを欲しい…ということです」

教員たちは大いにどよめいた。
「えっ!? 高校在学中からですか……」
「…いや… それは凄い話ですね…」

校長は資料をめくりながら言った。
「この件については、高木先生から詳しい説明があります。では、高木先生、お願いします」

視線が一斉に高木へ向いた。
高木はゆっくり立ち上がり、資料を手に前へ進んだ。
(……ここからだ…… みのりの未来を、学校全体に伝える……)

◆ 高木先生の説明が始まる
高木は、前に立ち、資料を胸の前で軽く整えた。
「…では、佐伯みのりさんについて、これまでの経緯を説明させていただきます。まず…佐伯さんの“異変”に気づきましたのは、先々週のことです。ほとんどの先生はご存じのはずですが、授業中の彼女の席で、複数の測定器の値がわずかに揺らぎました。お手元の資料に、その様子をまとめましたので、ご覧ください」

資料のページをめくる音が、静かな職員室に小さく響いた。
「CO₂濃度、電磁波、温度、風速、静電気……どれも変化は小さいものでしたが、佐伯さんの席でのみ、すべての測定器が揺らぎました。もちろん、測定器はデリケートなものが多いので、強い電場や高温などで影響を受けることはあります。しかし、あの教室では、そのような要因は考えられませんし、佐伯さんの席だけで測定器が揺らぐことの説明がつきませんでした」
2年生の授業を受け持っていなくて、その測定結果の詳細を知らなかった教員たちは、その資料を食い入るように見つめた。

高木は、資料を見つめながら続けた。
「この現象を見過ごすことはできないと感じ、私の母校の大学の恩師である高原教授に相談しました。すると教授は、データを見てすぐに『単一の物理現象では説明できない』と判断しました」

職員室全体が、早くその先を聞きたいというムードに変わっていく。
「その後、脳科学が専門の佐野教授にもデータを見ていただき、『脳波を測定する価値がある』と判断されました。こうして、佐伯さんは、大学の研究室で脳波測定を受けることになりました。……ここまでが、佐伯さんが大学で測定を受けることになった経緯です」
職員室の空気は、まだ静まり返っていた。

高木は、手元の資料をめくりながら…
「先生方… お手元の資料の2枚目を見ていただきたいと思います」

そのページは、みのりが脳波測定時に解いた物理の問題のコピーだった。
「……そして、ここからが大学側が最も驚いた点です。これは物理の問題なのですが、大学の授業でも用いる物理の問題です。難易度の高い大学であれば、このレベルの問題が入試に用いられる可能性もある、といったレベルの難しい問題です」

先生たちは互いに顔を見合わせていたが、国語の先生がぽつりとつぶやいた。
「私たちにはちんぷんかんぷんですけど… 物理の高木先生が言われるのですから…、そのようなレベルの問題なんでしょうね…」

「はい。実際に、大学入試の選択問題として物理を選び、見事合格した物理学専攻の大学生がこの問題を解く場合、速くても15~20分はかかるだろうと、大学院の学生さんが言ってました。一般的には、問題の意味を理解するだけで数分。式を立てるのにさらに数分。計算を進めるには十数分。三問すべてを解くには、最低でも三十分は必要でしょう」

高木は続けた。
「では、資料の3枚目を見ていただきたいと思います。これは、佐伯みのりさんが書いた答案用紙です。全問正解です。しかも、この解答が書かれるのに要した時間が… なんと… たったの2分だったのです」

室内が揺れた。
「確かに…、佐伯さんの字ですよ、これ…」
「えっ?? 20分ですよね?」

高木はきっぱりと言った。
「いいえ、たったの2分です!」

先生たちの誰もが、これまでの人生で初めて体験するその異次元さに、全身が凍り付いた。しばらくして、互いに顔を見合わせる先生たちも出てきたが、瞳孔が大きく開いたまま、言葉は発しなかった。

高木は続けた。
「資料の4枚目をご覧ください。これは、佐伯さんがその問題を解いた時に、メモとして書き残した計算用紙です。答えに至るまでの途中の式が、軽いタッチで書かれています。そして、大学の先生方が特に驚かれたのは、ある式から次の式へ行く間には、途中にもっとたくさんの式が書かれていて当然なのです。ところが、佐伯さんのメモには、その途中にあるべき式が書かれていないのです。すなわちそれは、その間の計算は、脳内で勝手に高速で処理されていた…ということなのです」

教員たちの誰もが恐怖を覚え、小さく身震いをする者もいた。

やがて… 数学担当の三浦が、資料を見つめたまま小さな声で呟いた。
「……これ……高校の範囲を完全に超えてる… いや…大学の範囲も…超えてるかもしれない……  というより… こんなのあり得ないですよ」

他の先生たちからは、一言も発せられなかった。

毎回の授業において、みのりの急激な進化に驚いている化学担当の江藤は思った。
(……ここまで… ここまで…凄くなっているとは…。 化学式を見て電子雲の様子が見える…などのことで驚いている場合じゃない…。 …あり得ない… 絶対にあり得ない…)

高木は、気にせずに、脳波の測定結果へと進めることにした。
「では、資料の次のページをご覧ください。これには、脳波測定の結果がまとめてあります。ポイントとなる部分だけ紹介しますが、一般的にはまず見られない“高周波成分の同期”が確認されました。要するに、脳の複数領域が、まるで“同じテンポで連動している”ような状態でした。これは、通常の神経伝達速度では説明がつかないということでした」

高木はさらに続けた。
「資料の次のページをご覧ください。これは、脳磁図と言って、脳の活動の様子を、脳が形成する弱い磁場を測定するこによって得られるものです。ポイントの一つは、“視覚化ネットワーク”と呼ばれる部分と、“数量処理領域”と呼ばれる部分が、同時に活性化していたことです。これらの部分は、一般的には交互に働く領域だそうです。もう一つのポイントは、脳幹から皮質への信号が“基準振動子”のように働き、脳全体のリズムを整えていたことです。これは、人間の脳では、ほとんど報告が無いということでした」

先生たちは、高校の職員会議で、まさかこんな話が出てくるとは夢にも思わなかった。あまりの異次元さに、誰もが言葉を発しないまま、高木の説明だけが続いた。
「……以上が、大学側が、佐伯さんを“飛び入学希望”と判断した理由です。やはり、あの物理の問題を2分間で解いてしまったことが、決定打だったということでしょう。 …大学では、この件で教授会が開かれたのですが、数十名の教授全員が震え上がったという話を聞きました。そして、脳波や脳磁図の測定結果が、その異常さを証明していた…ということです。 高原教授からは、佐伯さんは日本の宝、いや、世界の宝だと言ってよい、とのコメントを頂きました。また、脳科学研究室の佐野教授からは、高校在学中から研究室への出入りを強く希望されました」

会議場になった視聴覚室は、相変わらず、誰も言葉を発せないほどの静けさに包まれていた。高木は場を和らげるためにも、笑顔を作りながら続けた。

「なお、測定中に、こんなエピソードもありました。それは、脳波測定の終盤で、佐伯さんの脳波が急に穏やかになった場面があったのです。佐野教授が理由を尋ねたところ、佐伯さんは、『水瀬あかりさんのことを思い出しました』と答えたそうです」

先生たちが久しぶりに反応した。
「水瀬あかりさんは……以前、本校にも来てくださった方ですね…」
「佐伯さんの物理の捉え方、化学の捉え方一瞬で変えてしまった……あの方ですね」

高木は、ゆっくりと息を吸って続けた。
「その水瀬さんが、大学と共同研究をされていまして、火星環境を地球上で体験できる装置である H-HIM というものを考案されました」

教員たちの表情が一斉に変わった。
(…えっ!? 火星環境を地球上で体験できる装置を… 考案……?!)
(……水瀬さん… そのような凄いお方だったのか…)
(……だから… 物理も… 化学も…)

高木は続けた。
「そして、佐伯さんは、その H-HIM を土曜日の午後に体験しました。水瀬さんが直接研究棟の奥まで佐伯さんを連れて行って、案内されたそうです。その後、そのときの佐伯さんの様子を、水瀬さんが高原教授に伝えられ、次のように言っておられたそうです。『佐伯さんは、その火星環境に“完全に適応できる反応”を示した』ということでした」

◆ 校長の言葉
高木の説明が終わったあと、視聴覚室は、再び時間が止まったかのように静まり返っていた。誰もが、再び資料を見つめたまま動けず、椅子の軋む音すら聞こえなかった。

最初にその沈黙を破ったのは、校長だった。校長は、ゆっくりと資料を閉じ、深く息を吸ってから口を開いた。
「……高木先生、丁寧な説明をありがとうございました」
その声は、いつもより少し低く、何とか言葉にしなければならないという重責に満ちていた。
「先生方… …今、私たちは“前例のない事態”の真ん中にいます。佐伯みのりさんの能力は… …高校教育の枠を、明らかに超えています。…いや、遥かに超えています」

校長は、資料の3枚目──みのりが書いた解答用紙に視線を落とした。
「この解答を… …たったの2分で…。…もし、私なら…この解答を見せてもらって、それを別の紙に書き写すだけでも2分かかりそうです。……しかも、全問正解… …これは、私たちがこれまで経験してきた“優秀な生徒”という範囲を完全に超越しています」

教頭が、静かに頷いた。
「……脳波や脳磁図の測定結果も、常識では説明できないものだということですね。大学側が“飛び入学を希望する”というのも、充分に理解できます。佐伯さんがいることで、そこの研究室や大学が、世界中から注目を集めそうですからね…」

校長は、全教員を見渡した。
「先生方… まず確認しておきたいことがあります」

少し間を置いて、校長は続けた。
「佐伯みのりさんは……決して、私たちが特別扱いして大学へ行かせるのではありません。大学側が、正式に、強く求めているのです」

教員の誰もが、前代未聞ともいえる大学側からの要望を、しっかりと受け入れようとしていた。

「そして……佐伯さん自身が、大学で学ぶことを望んでいるかどうか。これは、最も重要な点です」

高木は、静かに頷き、すぐに返答した。
「佐伯さんは……飛び入学について、不安よりも楽しみのほうが大きいと言っていました。そして、自分にできることがあるのなら…、誰かの役に立てるのなら…大学に行きたいです、と言いました。また、佐伯のお母様にお出会いして直接伺ったのですが、大学側の要望を喜んでお受けしたいとおっしゃってました」

校長は、その言葉を聞いて、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうですか。それなら……私たちがすべきことは、ただ一つです」

校長は、資料を机に置き、全教員に向けて、はっきりと言った。
「佐伯みのりさんの未来を、学校として支えること。これが、今日の職員会議の結論です」

その言葉を聞いた教師たちは、佐伯みのりの、そのかけがえのない能力を、もっともっと伸ばしてあげたいという親心のような気持ちと、教育者としての使命とやりがいに満ちた表情へと変化した。

◆ 教頭および他の教師の補足
教頭が、校長の言葉を受けて続けた。
「具体的には──大学側が求めている“研究室への出入り”について、学校として正式に許可する方向で進めます」

教頭は資料をめくりながら続けた。
「もちろん、出席扱いの調整や、授業との兼ね合いなど、細かい点はこれから詰める必要があります。しかし……佐伯さんの能力を考えれば、高校の授業だけでは、もはや不十分です」

数学の三浦が、小さく頷いた。
「……あの計算用紙を見たら……高校の授業で扱う内容では、もう足りないのは明らかですよね……」
理科主任も、静かに言った。
「……大学で、もっと上を学ぶべき生徒です。それは、誰が見てもそう思うはずです」

◆ 校長の最終確認
校長は、部屋全体を見渡しながら言った。
「では、本校としては、大学側の要望を受け入れ、佐伯みのりさんの飛び入学について、前向きに進めることでよろしいですね」

誰もが頷き、反対の声を上げる者はいなかった。むしろ、全力で佐伯みのりを応援したいという気持ちが強かった。
校長は、その反応に静かに頷き、会議を閉めた。
「……では、これを本日の職員会議の結論とします」

◆ 高木と江藤の心境
会議が終わり、高木は廊下を歩きながら、心の中で呟いた。
(……佐伯… 私なりに、頑張って伝えたぞ! …君には、明日話すからなっ…)

職員室の自分の席に戻った後も、高木の頭の中は、みのりの事で一杯だった。
(……佐伯のお母さん… 本当に… 本当に、無我夢中で頑張ってこられたんだと思う。佐伯本人も、責任感がすごく強い子だから……。一人で頑張りすぎて… たぶん、その頑張り過ぎが、何らかの障壁になっていたのか…。それを…水瀬あかりさんが解消させた…。そのせいで、佐伯の能力が解放され始めた…。 ……そういうことなんだろう……)

化学の江藤が高木に声をかけた。
「高木先生…、予想をはるかに超えた展開になってきましたね。…佐伯の席の周囲を色々測定しましたけど、そのときの異変が、今となっては些細な出来事のように感じますね」

高木は、江藤のほうを向いて微笑んだ。
「まったくですよ…。これ、私の教師人生の中で、最大のドラマになると思いますね。あっ、そうだ… 高原教授が水瀬あかりさんから聞いたそうだけど、佐伯の夢は、宇宙飛行士になることだそうですよ」

江藤はちょっと驚いたが、納得するように頷いた。
「あぁ、そんなんですね…。でも、それ、凄いなぁ。そんな夢を持つなんて…。だったら、私たちは、それを全力で支えたいですねっ、高木先生!」

高木は満面の笑みを浮かべた。

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