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◆ 第39話 ── MEGが捉えた、みのりの「創造の脳」
夕食後、みのりのスマホに、高原教授からの着信音が鳴った。
「はい、みのりです」
「高原です。こんな時間になってしまってごめんなさい。前に言っていた、みのりさんの脳活動をMEGで測定するという件なのですが…。 …急な話で申し訳ないのですが、明後日の14時頃でも大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
「それはよかった。…ところで、みのりさんは、一人で大学に来るのは初めてだと思うのですが…。いずれ、入学してもらってからは通学ということになるでしょうから…、通学の練習も兼ねて…ということにしましょうか…(笑)」
「はい、今まで、あかりさんとか、高木先生と一緒でしたから、一人では初めてですね。でも、大丈夫ですよ!」
「一番心配しているのは、あなたがSNSとかで、すでに有名人になっていることです。帽子かぶるとか、メガネかけるとか、少し変装して来たほうが良いかもしれませんね…」
「ありがとうございます(笑) じゃ、てきとーに、バレにくいような格好して行きます!」
「じゃ、無事を祈ってます。もし、途中で危険そうな場面に出くわしたら、遠慮なく私に電話してください!」
高原教授にとっても、みのりは世界を揺るがす可能性を秘めた凄く大切な人であるため、できることなら自宅までお迎えに行きたいところであったが、大学教授という立場がその行為を断念させることになった。
◆ 高原教授と佐野教授によるMEG測定プロトコルの確認
みのりに連絡を入れた翌日、高原教授と佐野教授は、みのりを測定するためのプロトコルの確認をしていた。
佐野教授がタブレットを開きながら言った。
「先生、今回の測定は“2条件”でいきましょうか…。一つは、楽譜通りの演奏。もう一つは、完全なアドリブ」
高原教授は静かに頷いた。
「ええ。再現系ネットワークと創造系ネットワークを、同じ被験者で比較できる機会なんて滅多にありませんからね…」
佐野教授は、少し興奮したように笑った。
「それに… みのりさんが即興演奏しているときには、普通の演奏家では見られないような、脳の広域ネットワークの同時活動が見られるはずです」
高原教授は、椅子に深く座り直しながら言った。
「脳というのは、本来、状況によって使うネットワークがまったく違いますからね…」
佐野教授は頷き、高原教授の言葉を促した。
「まず、安静にしているときは、デフォルトモードネットワーク(DMN)が中心ですよね。それに対して、例えば、スマホでゲームをしているときは、視覚と報酬系、それから、指を動かす運動野だけが働く。これは、外からの刺激に反応しているだけで、創造性はほとんど使われない…」
「そうですね、作られたゲームで遊ぶ時間が長くなるほど、AI時代に生きる人の脳として最も大切だと言える創造性が犠牲になっていきますね。どうしてもゲームが好きだというのなら、ゲームを作る側の人になるのが良いです(笑)」
高原教授は、一般論を整理するためにも、話を続けた。
「単純な計算問題を解くときは、前頭前野の“論理系”が中心になりますね。脳の使い方としては、とても狭い範囲になります。そして、複雑な物理や化学の問題を解く場合になると、論理系に加えて、意味を処理する側頭連合野や、仮説を作るDMNも動き出す。脳の活動は広くなりますが、まだ“論理中心”です」
「こういうのは、AIのほうが圧倒的に得意ですから、人間が将来的に重視すべき能力ではないと言えますね」
高原教授は頷きながら続けた。
「ところが、新しいものを作り出したりするような創造的な活動をしようと思うと、必要とされる脳の領域が一気に広くなる。DMN、未来を予測する前頭前野、意味を統合する側頭連合野、感情を司る辺縁系、身体表現の感覚運動野……これらが“同時に同期”しなけらばならない。脳が“創造モード”に入る条件ですね」
「そうですね。私たち人間が伸ばすべき能力は、そういった創造的な能力なんですよね」
「私は、音楽については、次のように解釈しているんです。楽譜通りに弾くときは、視覚、運動、聴覚の“再現系ネットワーク”が中心です。正確に再生するための脳の使い方で、創造性はほとんど使われません」
「そうですよね。幼いころからピアノを習わせる親御さんは多いですが、面白くなくて途中でやめてしまう子も多い。この通り弾かなければならないのに、それがなかなかできないから、余計に面白くない。おまけに、創造する脳も育成されにくい…」
高原教授は大きく頷きながら、さらに続けた。
「しかし、アドリブで演奏するとなると、脳はまったく別物になる。DMN、未来予測、意味処理、感情、身体表現……これらが一斉に動き、脳全体が“創造の同期”を始める。そして、感情を音に変換する瞬間、脳の同期は最大になる」
佐野教授は目を輝かせた。
「つまり…、楽譜演奏は“再現の脳”。アドリブ演奏は“創造の脳”。その違いを、MEGで直接見られるわけですね」
高原教授は、少し笑った。
「ええ。そして、みのりさんの脳は、この“創造系ネットワーク”がどれほど強く働くのか……それを見たいんです」
佐野教授はタブレットを閉じた。
「明日、楽しみですね。人類の“創造の源”が見えるかもしれません」
夕方の研究棟に、二人の研究者の大きな期待が充満した。これは、音楽教育の見直しや、幼児教育への大きな提言にもつながるものであった。
◆ 大学院生による当日の出迎え
当日の午後13時半、夏の陽射しがキャンパスの白い石畳を眩しく照らし、クマゼミの大合唱が空間を満たしていた。
その正門の脇に、男子大学院生6名が、妙にそわそわした様子で立っていた。
「……そろそろ来る時間だよな……」
「うん、13時半には正門に着くだろうって… 教授、言ってたし…」
「…なんか緊張するんだけど…」
「おい… 研究対象に緊張するって、どういう状況なんだ(笑)」
「だって、あの凄い演奏やってた子だぞ…」
「めっちゃ可愛いって噂だし……」
「お前、それ言うなって! 研究目的で待ってるんだから!」
「いや、研究目的“だけ”じゃないだろ… 絶対会ってみたいじゃん……」
6人は、誰もが似たような気持ちだった。
「…で、みのりさんって、どんな格好で来るんだろうな?」
「教授が、 “変装して来るかもしれない”って言ってたぞ」
「変装って… どんなレベルの変装なんだよ… サングラスとか?」
「いや、逆に目立つだろ…それ……」
「帽子とか…… マスクとか…… あ、でもマスクは普通か…」
「…てか、そもそも俺ら、見つけられるのか?」
「いや… みのりさんなら、オーラで分かるだろ…」
「オーラってなんだよ(笑)」
そんな会話をしていると、正門の向こうから、ゆっくりと歩いてくる一人の女の子が見えた。白いキャップ、薄手のライトグレーのジップアップパーカー、白のTシャツ、ネイビーの膝丈デニムスカート、白いスニーカー、大きめのトートバッグ、そして、マスクで顔の半分が隠れていた。控えめで、涼しげで、透明感のある夏の装い。
「……あれ…?」
「…そうか?!」
「いや… あれ… 絶対みのりさんだろ…」
「うわ…… なんか… …めっちゃ可愛いんだけど……」
「…目が綺麗すぎる…」
「お前…、声に出すなって!」
みのりは、正門に到着する少し前に、高原教授から「うちと、佐野先生とこの大学院生たちが正門で待ってるから、案内してもらって」とメッセージをもらっていた。
(……あっ… あの人たちが高原先生と佐野先生とこの院生の人たちかな…… 私のほうをじっと見てる気がする…)
近づくにつれて、男子院生たちは固まってしまった。
みのりは、声をかけてみることにした。
「……あの… こんにちは… 高原先生と佐野先生の研究室の方ですか?」
6人は一斉に背筋を伸ばした。
「は、はいっ! そうです!」
「佐伯みのりさんですよね!」
「今日はよろしくお願いします!」
「研究室までご案内します!」
「荷物、持ちましょうか!」
「いや、お前それはやりすぎだろ!」
みのりは思わず笑った。
「ありがとうございます。…よろしくお願いします」
◆ 研究棟までの道中
男子院生たちは、まるで“アイドルの護衛隊”のように、みのりを囲むようにして歩き始めた。しかし、内心は、あまり護衛隊とは言えなかった。
(……近い…… いや、近いって…)
(…こんな距離で…一緒に歩けるとは……)
(キャップ… 似合いすぎだろ……)
(…なんで…こんなに爽やかなんだ……)
(……きれいな髪…)
(いやいや、落ち着け…)
(俺たち… 研究目的だ……)
そんな内心であったため、6人は無口になっていた。
みのりは、そんな6人の妙な緊張に気づいているのかいないのか、控えめに歩調を合わせながら口を開いた。
「みなさん… 今日は、案内してくださってありがとうございます」
その一言で、6人の背筋が一斉に伸びた。
「い、いえっ! こちらこそ!」
「案内させていただけて光栄です!!」
「研究室まで、すぐですので!」
「危ない人はいませんので!」
「一番危なそうなのがここにいますが、僕が見張ってますから!!」
みのりは、また笑ってしまった。
「…なんだか…… みなさん、すごく優しいですね」
その瞬間、6人の心の中で何かが爆発した。
(やばい…… めっちゃ素直… 超可愛い……)
(声が柔らかい…… なんでこんなに柔らかいんだ……)
(いや、これ……普通に惚れるやつじゃん……)
(落ち着け……俺は研究者の卵だ……研究者……研究者……)
もちろん、その内心を話すわけにはいかないので、科学者らしい話題を必死に探した。
「えっと… 今日のMEG測定、僕たちも見学できるんですよ」
「そうなんですか?」
「はい!高原教授が、“みのりさんの脳活動は学生にも見せたい”って……」
「教授、そんなこと言ってたんですか…?」
「言ってました!! めちゃくちゃ言ってました!!」
「お前、声が大きいって!!」
みのりはまた笑った。
「なんだか……緊張してきました…」
その言葉に、6人は一斉に前を向いた。
「大丈夫です!!」
「僕たちがついてます!!」
「僕たちが見ていても、タマネギが転がっていると思ってください!!」
「タマネギって、健康に良いんです!!」
みのりは、その、ぎこちない優しさが少しおかしくて、また笑ってしまった。
たわいもない会話をしながら、7人は白い研究棟のガラス張りのエントランスに到着した。
「着きました!」
研究棟の自動ドアが静かに開くと、冷房のひんやりした空気が、夏の熱気を一気に押し返した。
「この奥のエレベーターで3階へ…」
男子院生6名は、まるで貴重な来客を案内する秘書団のように、みのりを囲む形でエレベーターへと導いた。
「高原先生と佐野先生が、優しく迎えてくれるはずです」
みのりは深く頷いた。
「ありがとうございます。……なんだか、すごく心強かったです」
その一言は、6人のハートを射抜いた。
(やばい…… 今日、絶対忘れられない日になる……)
3階に着くと、奥にある「MEG観察室」と書かれたガラス扉の前で、院生たちが足を止めた。
「みのりさん、こちらです。教授が中で待っています」
院生の他の一人が、そっと扉を開けた。
「どうぞ」
室内では、高原教授と佐野教授が、この上ないという笑顔で迎えてくれた。
「いやぁ、みのりさん、無事に到着できてよかった。私も、佐野先生も、心配で仕方なかったですよ。ねぇ、佐野先生」
「ほんとですよ。大切なお嬢さんに何らかのトラブルが起こったらどうしようかと、気が気じゃなかったですよ」
みのりは、ちょっと照れながら頭を下げた。
「ありがとうございます。マスクもしてきましたので、誰だか分らなかったと思います」
「アストレア楽器のポスターとかCM動画が、もう少ししたら始まると思うので、そうなると、もっと気を遣わなくてはならなくなるはずですからね…」
◆ MEG観察室での測定説明
高原教授は、続いて、実験の方法をみのりに伝えた。
「それじゃ、今日の予定をお伝えしますね。今日の測定は、前にお伝えしていたように、キーボードを弾いているときの脳活動をMEGにて測定するのですが、次の二つの条件で測定して比較しようと思います。一つは、みのりさんに予め選んでもらっている曲を楽譜どおりに弾いてもらう演奏と、もう一つは、何らかの循環コードを流しておいて、そこにアドリブで楽しみながらメロディーを載せていく演奏です。これ、大丈夫ですよね?」
みのりは笑顔で頷いた。
「はい、楽譜通りに弾く曲は、わりと簡単でしたし、練習もしましたので大丈夫です。アドリブは、大好きです(笑)」
佐野教授がおもむろに呟いた。
「もう、何でも弾きこなせそうなみのりさん、そんな高校生がいるって、本当に信じられないですよ(笑) …じゃ、桐谷君、一連の操作と、みのりさんへの指示、よろしくお願いします」
ドクターコースの大学院生である桐谷が、予め決めていた実験プロトコルに沿って、みのりを誘導し、キーボードの各演奏のときのMEGを測定していった。
◆ みのりの楽譜による演奏開始とMEG
みのりが楽譜どおりの演奏を始めると、観察室のモニターに、脳活動の波形とトポグラフィが立ち上がった。
佐野教授が、画面に顔を寄せるようにして呟いた。
「……はい、来ましたね。視覚野、運動野、聴覚野、――再現系ネットワークが、非常にきれいに同期しています」
高原教授は静かに頷いた。
「前回は“安静時”だけを測定しましたが、今回は音を出している分、聴覚系がしっかり入ってますね」
佐野教授は、トポグラフィを指しながら続けた。
「ええ。それでも活動は局所的ですね。前頭前野の論理系がテンポを維持し、視覚が楽譜を処理し、運動野が指を動かす。……典型的な“再現の脳”ですね」
高原教授は、みのりの演奏を聞きながら言った。
「この安定感… 高校生とは思えませんね。脳のノイズがほとんどない。」
曲が終わると、モニターの波形が静かに落ち着いた。
佐野教授はメモを取りながら言った。
「再現系ネットワーク、非常に良いデータです。比較の基準として完璧ですね」
◆ アドリブ演奏とMEG
みのりがアドリブ演奏を始めた瞬間、モニターの色が一気に変わった。
佐野教授は、思わず息を呑んだ。
「……来ました。DMNが立ち上がった……しかも強い。前頭前野の未来予測も同時に動いている……これは…前回の安静時よりもはるかに強い」
高原教授は、画面を見つめながら静かに言った。
「意味処理の側頭連合野… 感情の辺縁系… 身体表現の感覚運動野… 全部が同時に同期している」
佐野教授は、画面を指しながら続けた。
「再現演奏とは、まったく別物です。脳の“内側のネットワーク”が一斉に走り出している。DMNと前頭前野が同時に強く働くなんて…普通はあり得ないと言われてきました。つまり、それがあるとすれば、かなり高度な思考やメンタルタスクを行える場合などに限られる…と考えられますね」
高原教授は、みのりの演奏を静かに聞きながら言った。
「感情を音に変換している瞬間ですね。脳の同期が最大になる。……まさに今です」
佐野教授は、画面の変化を追いながら呟いた。
「すごい……脳全体が“創造モード”に入っている。しかも同期が乱れない。このようなパターンは……今までに見たことがありません」
高原教授は深く頷いた。
「みのりさんの脳は、創造系ネットワークの“結合力”が異常に強い。これは…人類の創造性のモデルになるかもしれません」
◆ MEG測定終了後の教授たちの所見
みのりのアドリブ演奏が終わり、MEG室の防磁扉がゆっくりと開いた。
観察室の空気は、測定前とはまったく違っていた。静かだが、その静けさの奥に──研究者特有の「大発見の予感」が潜んでいた。
みのりが観察室に戻ると、高原教授と佐野教授は、モニターの前で並んで立っていた。
二人とも、表情は落ち着いているのに、目だけが異様に鋭かった。
佐野教授が、最初に口を開いた。
「……みのりさん。まずは、ありがとうございました。非常に良いデータが取れました」
みのりは軽く頷いた。
「はい。楽譜のほうは練習したので大丈夫でしたし、アドリブは…楽しかったです」
佐野教授は、モニターを指しながら静かに言った。
「楽譜どおりの演奏──これは、典型的な“再現系ネットワーク”でした。視覚、運動、聴覚がきれいに同期していて、前頭前野の論理系も安定していました。……教科書に載せたいほど整っています」
高原教授が補足した。
「再現演奏の脳は、必要な場所だけが働く“効率の良い脳”です。みのりさんは、高校生とは思えないほどノイズが少ない」
みのりは、少し照れたように笑った。
「ありがとうございます」
佐野教授は、画面を切り替えた。そこには、アドリブ演奏中の脳活動が映っていた。
色が広く、深く、複雑に広がっていた。
佐野教授は、その画面を見つめながら言った。
「……注目すべきは、こちらです」
高原教授も、静かに息を吸った。
「アドリブ演奏の脳活動──これは、前回の“安静時の異常活性”よりも更に強い」
佐野教授は、専門家としての冷静さを保ちながら続けた。
「DMNが立ち上がり、前頭前野の未来予測、側頭連合野の意味処理、辺縁系の感情、感覚運動野――これらが“同時に同期”しています」
高原教授は、画面を指しながら言った。
「創造系ネットワークの“結合力”が異常に強い。普通の人間では、ここまで広域の同期は起こらないですよね」
佐野教授は頷き、少しだけ声を落として言った。
「……みのりさん。あなたの脳は、“創造の脳”そのものです。」
みのりは、どう反応すればいいのか分からず、ただ静かに聞いていた。
高原教授は、みのりの方へ向き直った。
「楽譜演奏とアドリブ演奏──この二つの脳活動の差が、あまりにも大きいんです」
佐野教授が続けた。
「再現演奏は、必要な場所だけが働く“効率の脳”です。一方、アドリブ演奏は、脳全体が一斉に動き出す“創造の脳”なのです」
高原教授は、深く頷いた。
「そして、みのりさんの“創造の脳”は、通常の人間の範囲を完全に超えています」
佐野教授は、タブレットを閉じながら言った。
「……これは、論文どころではありません。人類の創造性のモデルになる可能性があります」
観察室の空気が、再び静まり返った。
みのりは、少し不安そうに言った。
「……あの…… 私、何か……変なんでしょうか……?」
佐野教授は、みのりの前にしゃがみ込み、優しく首を振った。
「変なんかじゃない。ただ……あなたの脳は、“普通の人間の枠”に収まっていないだけです」
高原教授も静かに言った。
「みのりさん。今日のデータは、あなたの未来を決める材料になります。……とても大きな意味を持つデータです」
観察室には、科学的な興奮と、静かな畏怖が満ちていた。
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