創造の脳が、社会を動かし始める

創造の脳が、社会を動かし始める
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佐伯みのり
◆ 第40話 ── 「育脳キャンペーン」始動

MEG測定を終えたみのりは、高原教授と佐野教授から丁寧なお礼の言葉をかけられ、再び男子院生6名に囲まれるようにして観察室を後にした。
「みのりさん、今日のキーボードでのアドリブも、本当に凄かったです!」
「脳のデータも、僕らも見ていて鳥肌が立ちました……」
「また来てくださいね! …あ…また、研究で来られるんでしょうけど……その……」
「考えを整理してから言えって!(笑)」
「…あの… おうちまで、僕がボディーガードしますよ!!」
「いや、キミが一番危険なんじゃないの?」

チームワーク抜群の院生たちの会話に、みのりはまた笑ってしまった。
「ありがとうございます。みなさん、すごく優しくて……心強かったです」

その一言で、院生たちは益々、みのりの虜になってしまった。そして、名残惜しそうに正門の外まで見送ってくれた。
「気をつけて帰ってくださいね!」
「またお会いできるのを楽しみにしてます!」

みのりは深くお辞儀をして、駅までの道を歩き出した。

その頃──大学では、高原教授がアストレア楽器株式会社の天野社長へ、測定結果を報告するための電話をかけようとしていた。
「佐野先生…、アストレア楽器の天野社長に連絡入れてみますね」

「そうですね、天野社長には早めに伝えておいたほうがいいでしょうね。今回のデータは、アストレア楽器にとっても大きな意味を持つでしょうから…」

「ええ。みのりさんの脳活動は、音楽教育そのものを変える可能性がありますからね」
教授は発信ボタンを押した。

コール音が数回鳴り、すぐに天野社長の落ち着いた声が聞こえた。
「はい、天野です。 …高原先生、ありがとうございます」

「お待たせ致しました。佐伯みのりさんの測定が終わりましたので、連絡させていただきました」

「先生… ありがとうございます。すごく楽しみにしておりました」

「想像していた以上の結果が出ましたよ。これは、人類の創造性のモデルになる可能性があります」

「…あっ、そうなんですか! …ぜひ、詳しくお聞かせください」
天野社長の声は、電話越しにも分かるほど真剣だった。

高原教授は、観察室のモニターを見つめながら、ゆっくりと言葉を選んだ。
「みのりさんが楽譜どおりに演奏しているときは、必要な場所だけが働く“効率の良い脳の使い方”でした。これは、一般的な演奏でもよく見られる、安定したパターンです」

「はい、そこまでは想像できます」

「ところが、アドリブに入った瞬間、脳の様子がまったく別物になりました。簡単に言うと、脳のあちこちが同時に活発になり、それらがきれいに連携しながら動き続けていたんです」

「……脳のあちこちが……ですか…」

「ええ。しかも、その連携が乱れない。普通は、複雑なことを考えたり、感情が動いたりすると、脳の活動は少し“揺れ”が出るんですが……みのりさんの場合は、むしろ整っていくんです。まるで、脳全体が一つのチームになって動いているような状態でした」

天野社長は、電話越しに息を呑んだ。
「……それは、一般の人では起こり難いんですね」

「はい。創造的な活動のときにだけ、ごく一部の人で見られることがありますが、みのりさんのレベルは、私たち研究者においても、ほとんど見たことがありません。“創造するときの脳の理想形”と言ってもいいくらいです」

「……なるほど…」

「つまり、楽譜演奏のときは“再現の脳”――アドリブ演奏のときは“創造の脳”――その違いが、驚くほど明確に出たんです。このことは、次のように言い換えることができます。楽譜演奏は、決められた情報を正確に再現するだけですので、脳の使われる領域はどうしても狭くなります。もちろん大切な能力なのですが、AI時代において人間が本当に伸ばすべき能力は、これではないということですね」

天野社長は、何度も頷いた。
「…すなわち、再現の脳ではなくて、創造の脳を伸ばすことが大切だ、ということですね」

「ええ。今回のデータは、自由な音遊びが創造性を引き出すという私たちの考えを、強く支持するものになります」

天野社長の目が輝いた。
「…なるほど!…それは、まさに私たちが“育脳キャンペーン”で伝えたいことです。子どもたちに、楽器で自由に遊んでもらうことが大切だと…」

「ええ。今回のデータは、その考えを科学的に裏付けるものになります。自由に音を出すこと──それが脳の創造性を最大限に引き出すんです。みのりさんの脳は、その“理想形”を示してくれました」

「……高原先生。この結果は、アストレア楽器にとっても、教育界にとっても……とんでもなく大きな意味を持ちますね」
天野社長の声は、感情を抑えきれないほど熱を帯びていた。

「ええ。そして、みのりさんは、その中心に立つことになるでしょう」

「……ありがとうございます。この結果を、必ず正しく世の中に伝えます。子どもたちの未来のために…」

「こちらこそ、ありがとうございます。大学としても、アストレア楽器と協力しながら、創造性を育てるための新しい教育モデルを作っていきたいと思っています」
高原教授は、静かに微笑んだ。
そして、二人の会話は、深い確信と期待を残したまま静かに終わった。

◆ 天野社長から高校側への確認
高原教授との電話を終えた天野社長は、受話器を静かに置くと、しばらく天井を見上げて息を整えた。
(……この結果は、当社だけでなく、教育界にも大きな影響を与える…… みのりさんは、これからますます注目される存在になる……)

そして、ふと現実的な一点が頭に浮かんだ。
(……そういえば、みのりさんは高校生だ…… ポスターやCMに登場してもらう以上、学校側への正式な確認は必須だな……)

天野社長は、すぐにスマホを手に取り、みのりへメッセージを送った。
「みのりさん。お疲れさまです。ひとつだけ確認したいことがあります。ポスターやCMにあなたを起用する件について、学校側への正式な連絡が必要になりますので、担任の先生のお名前と、学校の代表番号を教えていただけますか」

数分後、みのりから丁寧な返信が届いた。
「はい、わかりました。担任は〇〇先生で、代表番号は **-****-**** です」

天野社長は、すぐに学校へ連絡を入れ、みのりの活動内容・撮影の経緯・企業としての責任体制などを丁寧に説明した。
学校側は驚きながらも、正式な書面を交わすことで快く承諾してくれた。

(……よし……これで、みのりさんを安心して起用できる……)

◆ アストレア楽器での緊急会議
その確認を終えると、天野社長は社内チャットを開き、各部門長へメッセージを送った。
「明日の9:00、本社の会議室で緊急会議を行います。出席者は、各部門(営業、広報、マーケティング、企画、技術)の部門長、各店舗の店長。よろしくお願いします」

翌日の9:00、緊急会議が始まる。
まず、天野社長が口火を切った。
「今日は、朝から集まってもらって、ありがとうございます。今日の議題は、次の4点を予定しています。1点目は、当社のブランドイメージキャラクターになってもらった佐伯みのりさんの脳の活動の様子について、大学のほうで測定が行われましたので、その結果を報告します。2点目は、“育脳キャンペーン”についての原案がまとまりましたので、それについて検討を行います。3点目は、みのりさんを起用したポスターが何種類か出来ましたので、その使い方について共有したいと思います。4点目は、みのりさんのアドリブ演奏を編集したCM用動画が出来ましたので、その使い方について共有したいと思います」

会議室に集まったメンバーは、今までに無かった新たな展開を予感し、目を輝かせながら頷いていた。

天野社長は続けた。
「では、みのりさんの脳活動の測定結果から報告します。なお、MEG測定による代表的な画像や詳細なデータなどは、大学のほうでのデータ解析や論文作成が優先されるでしょうから、その中で、やがて当社に提供していただけるものが選ばれると思います。従いまして、今から紹介するのは、高原教授から電話にて伺った話になります。そして、それは、音楽教育の考え方を根本的に変えてしまうものであり、また、当社の未来を大きく躍進させるものでもあります」

会議室の空気が一気に張り詰めた。

天野社長は、メンバー一人一人の目を順に注視していきながら、言葉を続けた。
「まず結論から言います。みのりさんが “アドリブ演奏”をしているときの脳の活動は、脳科学的に見ても、“創造性”の理想形だそうです。すなわち、楽譜を見ながら楽譜通りに演奏している時とは全く違う脳の使い方であって、脳の各領域が同時に連携して動いているとのことでした」

メンバー全員が、それまでの常識を覆されたような、強い衝撃を受けた表情へと急変した。
そして、企画部長が、おもむろに呟いた。
「……つまり、創造性を育てるには、楽譜通りに弾かせる練習をどれだけ繰り返しても効果は小さく、それよりも、自由に弾かせることが大切だと… そういうことなんですね!?」

天野社長は、大きく頷きながら答えた。
「はい。その通りです。楽譜を正確に弾かせるよりも、自由に音を出して遊ばせるほうが圧倒的に効果が高い。…そういうことなんです。このことは、高原先生も、はっきりとおっしゃいました」

営業部長が思わず前のめりになった。
「……それは、育脳キャンペーンの根幹そのものですね」

「ええ。科学的な裏付けが取れたんです。これで、私たちのキャンペーンは“理念”ではなく“科学”になります。ですから、私たちは子どもたちや学生さんに、もっと手軽に音楽で遊べる環境を、提供しなければならないということになります」

会議室の空気が一気に熱を帯びた。
そして、技術部の部門長が口を開いた。
「例えば、低価格のキーボードならば、循環コードを流しながら、そのコードに合った音の鍵盤の位置を、LEDを光らせて示し、その光っている位置の鍵盤ならば、どれをどのように弾いても綺麗なフレーズになる…そんな感じの商品も魅力的ですね」

「まさに、そのような楽器も、当社のオリジナル商品になるでしょうね。追々、考えていくことにしましょう。では、予め計画していました“育脳キャンペーン”について、広報部の川村さんのほうから紹介してもらいます」

◆ 育脳キャンペーンについて
川村は、準備していた資料を開きながら話し始めた。
「育脳キャンペーンの全体像をまとめてきましたので、紹介させていただきます」

スクリーンに、シンプルで力強いスローガンが映し出された。
『音遊びが脳を育てる。Astrea Music 育脳キャンペーン』

「子どもたちに、楽器で自由に遊んでもらう。その“遊び”こそが、脳の創造性を最大限に引き出す──このメッセージを、各店舗と教育機関に届けます」

マーケティング部長が頷いた。
「科学的裏付けがあるなら、教育委員会にもアプローチできますね」

「ええ。そして、その象徴として、みのりさんを起用したポスターが完成しましたので、見ていただきたいと思います」

▼ みのり起用のポスター
川村は、ポスターのサンプルをテーブルに広げた。そこには、Astrea Music の公式ウェアを着たみのりが、エレキギターやサックスにて、それをアドリブで演奏しているときの、幾つものシーンが採用されていた。そして、ポスター内には、育脳キャンペーンのスローガンとして『音遊びが脳を育てる』の文字が入れられていた。

川村は話した。
「カメラマンの篠原さんに、制作時のポイントをいろいろと伺いました。その中で、最も強調されていたことは、他社の広告にありがちな、単にカワイイ女の子が楽器を持って微笑んでいる…そのようなものにはしたくなかった、ということです。それよりも、“今まさに音楽を自ら作り出している瞬間”を表現したかったそうです」

会議室のメンバーの誰もが大きく頷いた。
そして、マーケティング部長が思わず呟いた。
「…うん、確かに…このシーン… みのりさんの、あの素晴らしいアドリブ演奏のシーンが蘇ってくる… それに、静止画なのに、動きが伝わってくる感じがしますね…」

営業部長が呟いた。
「沢山あるけど… どれも素晴らしいですね… 選びようが無いというか… 少なくとも、みのりさんという一人の人が、ギター、サックス、キーボードを、それぞれ躍動感一杯に、自由に演奏している雰囲気が出ている…。本当に素晴しいですね」

各店長たちも、目を輝かせながら、何枚もあるポスターに見入っていた。
「……これは……店頭で絶対に目を引きますね」
「いろんな場所に、それぞれ違うシーンのものを貼っていくこともできますね」
「みのりさんの、この表情も、ブランドの顔として完璧ですね…」

天野社長が方針を告げた。
「では、私と広告部のほうで、どのシーンから出していくかを決めて、全ての店舗に一斉配布します。貼り出しは、来週の月曜日からの開始にしたいと思います。……じゃ、次は、動画のほうにいきましょう」

▼ みのり起用のCM動画
川村は、動画について紹介をはじめた。
「はい。CM用に編集された動画のうち、最も長いバージョンのものを一つ紹介するのですが、まずは、担当された篠原さんからのメッセージを読み上げます」
『CM動画の編集で、特に力を入れた点を述べます。それは、みのりさんが複数の楽器で、何気なくアドリブで遊んでいるシーンを中心にして、演奏の“自由さ”と“楽しさ”を強く打ち出せるようにしたことです。そして、遊びとはいえ、奏でられる音楽はプロの演奏家をも超越したものですので、楽器で遊ぶことの育脳効果が非常に高いことも伝わるのではないかと思います』

そして、編集された動画の一つが、自社で自慢のリファレンス・リスニングシステム(超精細大型ディスプレー+大型サブウーファー+超高域再生が可能なスーパートゥイーター+全機器がハイレゾ対応のプロ仕様)にて流された。

動画の内容は、みのりが何気なくキーボードの前に行って「MODERN JAZZ SWING」のボタンを押す。伴奏が流れるとともに、みのりはエレキギターを手に取り、圧倒的なパフォーマンスでスウィングジャズを奏でる。次に、ギターを抱えたままキーボードのほうに歩いて行ってボリュームを少し上げ、何気なくサックスに持ち替え、これも圧倒的なパフォーマンスでスウィングジャズを奏でる。今度は別のエレキギターに持ち替え、モダンジャズのギターラインで、かなり細かなテクニックを入れて奏でる。最後に、再びサックスに持ち替えて、絶妙なエンディングを奏でる。その直後の、スタジオにいたスタッフたちの歓声と大拍手も入っていた。

マーケティング部長が言った。
「私たちは、この演奏シーンの撮影時にはもちろん現場にいなかったわけですが、本当に何気なく楽器を手にして、複数の楽器で即興演奏を楽しんでいる感じがよく出ていますね。そして、演奏されている音楽のレベルがまた凄い… 編集されてるので、各演奏が短くカットされているわけですが、そのままずっと聴かせてほしいという感覚に陥りますね。でも、それができないから、最初から再生して何度も聴いてしまう…。そういう結果になりそうです」

企画部長も、大きく頷きながら言った。
「演奏時間は短いですが、なぜか引き込まれてしまいますね。Webで流せば、必ず話題になりますよ」

天野社長は、動画に関する方針を告げた。
「今見てもらった動画は、一番長いものです。篠原さんには、幾つかの長さのものを作ってもらっていますので、用途に応じて使い分けていくことになります。そして、この長いバージョンのものは、当社の公式サイトとSNSで同時公開します。もちろん、広告としても使いますが、まずは“自然に広がる”ことを狙いたいと思います」

◆ 各店舗でのポスター掲示の開始
月曜日の朝、アストレア楽器の各店舗に、みのりのポスターが貼り出された。店頭で足を止めた人々が、次々と声を上げた。
「……あっ、この子……ぶつりーずの子だよね?!」
「動画で見たけど、めちゃくちゃ上手い子だよ」
「この子、楽器のCMに出るんだ… …すごいな…」

やがて、みのりが通う高校の同級生の何人かも、偶然通りがかった店頭のポスターを見て大きな声を上げた。
「えええーーーっ!? これ、佐伯さんじゃない?!」
「えっ…うそ… …わっ!…ほんとだ… みのりさんだ…」
「…夏休み中だから… こんなことになってるなんて…知らない子もいるだろうね…」
「…でも… めっちゃかっこいいね… すごいなぁ…佐伯さん」

ポスターは、瞬く間に評判を集めた。そして、同級生の間でも、店頭のポスターの横で撮影した画像などが拡散されていった。

◆ Web上でCM動画が大反響
同じ月曜日の午前10時。アストレア楽器の公式サイトとSNSに、みのりのアドリブ演奏を使ったCM動画が公開された。
最初は、静かに再生数が伸びていた。しかし、昼前になると、SNSのタイムラインが、急にざわつき始めた。
「えっ……この子、誰? 演奏うますぎない?」
「ぶつりーずの子だよ! 本物だったんだ……」
「アドリブって、こんなに自然にできるものなの?」
「音が気持ちよすぎて、ずっと聴いてしまう……」
「楽器で遊ぶって、こういうことなんだ……」

動画のコメント欄は、数分ごとに新しい投稿で埋まっていった。

午後になると、音楽好きのユーザーたちが反応し始めた。
「コード進行に対するアプローチが完全にプロ……」
「高校生でこのラインはあり得ない……」
「サックスのニュアンス、どうやって身につけたの……?」
「ギターの半音階の使い方、センスが異常なほど凄い……」

ジャズ系のコミュニティでは、“みのりの演奏を解析するスレッド”まで立ち上がった。

夕方には、教育関係者のSNSでも話題になり始めた。
「これは……子どもの創造性教育のモデルになるのでは」
「自由に音を出すことの重要性が、直感的に伝わる動画」
「学校でも、こういう“音遊び”の時間を作るべきだと思う」

動画は、音楽だけでなく、“教育”という領域にも波紋を広げ始めていた。

アストレア楽器の社内モニターには、リアルタイムの再生数グラフが映し出されていた。
午前10時:1,200回
正午:18,000回
午後3時:52,000回
午後6時:120,000回
午後9時:300,000回を突破

マーケティング部長は、モニターを見ながら息を呑んだ。
「……これは……完全に“バズ”の兆しですね……」

広報部の川村も、思わず声を漏らした。
「自然拡散だけで、この伸び方…… 広告を打つ前に、ここまで行くとは……」

◆ 社長の確信
天野社長は、静かにモニターを見つめながら言った。
「……始まったな…… みのりさんの音楽が、社会に届き始めた……」
その声は、確信と、期待と、少しの震えを含んでいた。

こうして、アストレア楽器の育脳キャンペーンは、ポスターとCM動画を起点として、社会に向けて大きな一歩を踏み出したのであった。

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