《今回のアイキャッチ画像(高解像度版)》
◆ 第29話 ── 未来を書き始めた日
あかりさんは、みのりを横に乗せて、図書館の駐車場を後にした。フィアット500eのフロントガラスには、街路樹に見え隠れしながら灯っている街灯の光と、夕焼け雲のオレンジ色の光が、次々と音もなく前から後ろへと流れていた。
(……なんか…今日… ものすごく沢山のことがあった… 昼過ぎに図書館に来て今まで…何日分もの出来事が一度に来た感じがする…)
みのりは、助手席のシートにゆったりと身をうずめ、次々と流れていく光をぼんやりと見つめたいた。
「今晩は…ゆっくりと休んでくださいね…みのりさん」
あかりさんの優しい声が隣から聞こえた。
みのりは、ハッとしてあかりさん見た。あかりさんは講演をこなし、そのあとの質疑応答もこなし、さらに圧倒的なドラムの演奏をこなしてきた。それなのに、疲れた…などとは一言も発していない。それどころか、周りの人への心遣いの言葉をかける…。
みのりは胸が熱くなるとともに、驚きを隠せなかった。
「…あかりさん……」
「…え? どうしたの?」
「…だって… あかりさんは… 私の何倍ものエネルギーを使っているはず… それなのに…。 …普通の人だったら「今日は疲れたね~」とか… きっと言うはず…。 でも…あかりさんは違う…」
あかりさんは微笑んだ。
「…うふっ… ありがとう、みのりさん…」
「…ほら… 今だって… 「ありがとう」だなんて…」
(……今日の私… こんな演奏ができたのも… 沢山の拍手や…声援をいただけたのも… ぜんぶ…あかりさんのおかげ…)
そう思うと、みのりの目には、感激の涙が込み上げてきた。
「ナビによると…このあたりですよね!?」
「あっ、はい。20メートルほど先の…あのおうちです」
「ママの夕ご飯、でき上ってるといいですね(微笑)」
「……今日は…本当にありがとうございました」
みのりのおうちの玄関前にフィアットが停まり、みのりは降りた。
「ありがとうございました」
みのりは、もう一度お礼を言いながら深く頭を下げた。
「じゃ、またね!」
あかりさんは、助手席側のウィンドウを開けて一言だけ声をかけ、クルマを進ませた。
みのりは、小さく手を振って見送った。
(……あかりさん… ほんとにすごくて… ほんとにやさしくて… すごくかっこいい…)
あかりさんのクルマが見えなくなってから、みのりは玄関のほうを向いた。
いつもの玄関には、外灯が優しく灯っていた。
◆ みのりのお家では…
みのりは、瞼に溜まった涙をぬぐってから、扉を開けた。
「ただいまぁ」
奥の方からママの声が聞こえた。
「おかえり。ちょうど夕ご飯できたとこだよ」
ママとは朝に会ったが、すごく長い時間会ってなかったような気がした。
ダイニングに入ると、温かい匂いがふわっと広がった。そして、テーブルには、みのりの好きな料理が並んでいた。
「セミナー、どうだった?」
ママが優しく聞いた。
みのりは、ほんの少しだけ考えてから答えた。
「……うん。すごく……いろいろあった……」
「そっか…。難しかった?」
「……ううん…… なんか……すごかった……」
ママは、みのりが少し疲れている感じがしたので、それ以上は聞かなかった。
「ゆっくり食べてね」
みのりは、静かに夕ご飯を食べながら、今日の出来事を思い返していた。ただ、いろんなことが沢山ありすぎて、ママに伝えるための言葉が出てこなかった。
食事を終えると、みのりは自分の部屋に入った。PhytoCore による森林の香りが、ふわっと全身を包んでくれた。
制服をハンガーにかけ、机の上のノートを見つめた。そして、図書館で聞いたセミナーの内容を書き留めようと思ったけれど、ペンが動かなかった。
(……なんか…… 夢みたいだった……)
ベッドに座り、スマホを開くと、SNSの通知が少しだけ増えていた。
「今日の演奏、すごかった!」
「ぶつりーずって誰?」
「サックスの子、かわいかった」
(…あ… これ、私たちのことだ…)
みのりは、胸の前でスマホをそっと閉じた。
(……なんか…… まだ信じられない……)
キッチンのほうから、ママが食器を片付ける音が聞こえた。その音が、いつもの日常の音なのに、今日はなぜか少しだけ遠く感じた。
(……今日のこと…… どうやって話せばいいんだろう……)
みのりは、机の上のノートをそっと閉じた。そして、ベッドに横になり、天井を見つめると、あかりさんのドラムの音、高木先生のベース、教授たちの音が、頭の中に蘇った。
「……すごかったな……」
小さく呟いたあと、みのりは静かに目を閉じた。そして、いつの間にか眠ってしまった。
◆ 翌日の日曜の朝
翌朝──みのりは、スマホの通知音で目を覚ました。
(……ん……?)
まだ少し眠気の残る指で画面を開くと、そこには、どこか見覚えのあるようなタイトルが並んでいた。
『市内の飲食店で“奇跡の演奏” 研究者6名の即興セッションに人だかり』
『SNSで拡散中 “ぶつりーず”とは何者か』
『図書館ホールにも大勢の人が集まる騒ぎに』
みのりは、スマホを持ったまま固まった。
「……え……? これ……昨日の……?」
胸の奥が急に熱くなった。
そのときママは、日曜の朝でもあるため、リビングでテレビを見ていた。
「…あ… わりと、この近辺の話だね… すごーい人の数…」
《 テレビ放送の内容 》
テレビ画面には、昨日のお店の内外で撮影されたと思われる、複数の動画が編集されて流れていた。人だかり。歓声。拍手。そして、店内で演奏する6人の姿…。
アナウンサーが落ち着いた声で読み上げた。
「昨日の夕方、市内の飲食店で“奇跡の演奏”と呼ばれる出来事がありました。研究者6名による即興セッションに、店内外から多くの人が詰めかけ、周辺は一時、歩行が困難になるほどの混雑となりました。」
映像が切り替わり、現場に駆けつけた地元放送局のリポーターの映像が流れた。リポーターは、店の左右の歩道に続く数十メートルの人の列の中を、なんとか人をかき分けながら前へ進んでいた。
「こちら現場です! お店の前には、ものすごい数の人が集まっています! 店内からは、うっとりするような──そして非常に迫力のある演奏が聞こえてきます! これ以上は前に進めませんが、周囲の方々に話を聞くと、“この音を聞くために来た”という声が多く聞かれます!」
リポーターの声が少し興奮気味に続いた。
「店内は満席、店外にも人が溢れ、歩道には長い列ができています。皆さん、この演奏を一目見ようと、スマートフォンを掲げています!」
映像がスタジオに戻る。
「はい、現場からのリポートでした。ここからは、店内で録画し、放映の許可を得たという方が送ってくださった映像をご覧いただきます。これはアンコール曲として演奏された『Wonderful Tonight』の様子です。多くの方が、この演奏に酔いしれている様子が伺えます。」
画面には、店内で演奏するぶつりーずの姿が映し出され、歓声と拍手が重なっていた。
《 ここまで 》
妹は、ソファの背もたれに半分よじ登るような姿勢で、画面に顔を近づけていた。
「えっ、待って…… あのサックスの子……
えっ……えっ…… お姉ちゃんじゃない?!
ほらっ!! ママ 見てっ!? あれ、お姉ちゃんだよ!!
ほらっ ほらっ お姉ちゃんじゃん!!
えっ……なんで!? ……なんでなんで??」
ママは、妹の肩を軽く押さえた。
「ちょっと落ち着きなさい……
でも……ほんとに……みのりだわ…制服もみのりの高校のだし…
ええーーーーっ!?? でも、みのり、何も言わなかったよ…
すごーい!! 上手… あんなに堂々と演奏して……
すごーい…… すごすぎる……」
そのとき、ママは大きな声でみのりを呼んだ。
「みのりーっ!! ちょっと来てっ! ニュースに……あんたが出てる……」
その声を聞いたみのりは、まだ少し眠そうな顔で、階段から降りてきた。
「……ママ…? …なに…?」
ママと妹が、同時に振り返った。
「みのり!!」
「お姉ちゃん!!」
二人の声が重なった。
妹は、テレビを指さしながら叫んだ。
「お姉ちゃん!! あれ見てよ!! あれ、お姉ちゃんじゃん!?
それに… めっちゃ上手いし!」
ママも続けた。
「あのサックス…みのりだよね?!!」
みのりは素直に頷いた。
「…うん、私」
『Wonderful Tonight』の演奏シーンが比較的長く流されていた。やがて、みのりがエレキギターに持ち替えて演奏しているシーンも流された。
ママも妹も、さっき以上に驚いた。なぜなら、サックスはみのりが中学時代に吹奏楽部でやっていたことを知っていたからである。しかし、高1の時にエレキギターをやっていたことは、あまり認識していなかったのである。
「お姉ちゃん… エレキギター… すごーーーい!! かっこいいーー!」
「…みのり… 軽音やってたの知ってたけど… えっ!! すごーーい!!」
妹もママも、初めて見るみのりの姿に圧倒された。
やがて、テレビのニュース番組が終わり、ママはみのりの方をしみじみと見て言った。
「みのり…… 昨日…帰ってきたとき…なんだか少し疲れてるように見えたのは…こういうことだったんだね…… すごいね… みのり…… 」
妹は、テレビでの報道が終わってすぐにスマホで確認していた。
そして、スマホを持ったまま駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん!! ほら! これ! 動画上がってる!!
あ… お客さんの中で、涙流しながら拍手している人… けっこう多い…
ママ…見てっ ほら!!
でも… なぜ黙ってたの?(笑)」
みのりは、胸の前でスマホを握りしめたまま、少しだけ視線を落とした。
「……その… なんか… 昨日はいろんなことがありすぎて… 上手く言葉にならなくて…… 帰ってきたとき…どう話せばいいか分からなくて…」
ママは、みのりの手をそっと握って言った。
「みのり…… あなた…… ほんとにすごいよ…こんなにたくさんの人を感動させて…… ママ…ちょっと泣きそう……」
妹も、少し目を潤ませながら言った。
「お姉ちゃん…… ほんとに……すごい…… 学校で絶対話題になるよ……」
みのりは、少しうつむきながら…
「……ありがとう…」
その声は、昨日の演奏の余韻がまだ残っているような、少し震えた声だった。
「……ちょっと…散歩に行ってくるね」
◆ みのりの「新たな人生計画」が始まる
散歩から帰ってきたみのりは、ママが用意してくれていた朝食を済ませてから自分の部屋に入った。
机の上には、受験対策のための参考書と、複数のノートが並んでいた。
スマホを机の端に置き、深呼吸をひとつした。
(……SNS…… 見てる場合じゃない……)
(……飛び入学…決まったんだ…… 私……これからどうするのが一番いいんだろう……)
みのりは、机の引き出しから新しいノートを取り出した。そして、少しずつ書き始めた。
★ 大きく変化したこと
・大学受験を目的とした勉強が不必要になった
・高校生活が2年生で終わることになった
・来春から大学生になることが決まった
・入学する前から大学の研究室に行く時間もありそう
★ 学習の目標
・あかりさんのような人になりたい
・宇宙飛行士として役に立ちたい
★ 生活の目標
・ママを楽にさせたい
・妹に不自由なことがないようにしたい
みのりは、書き終えたページをそっと見つめた。
(……ここまでで、だいぶ変わったんだ…… そして…明日からの生活も……)
ペンを持つ手が、少しだけ落ち着いてきた。
みのりは、ページの下に新しい項目を書き始めた。
★ これから調べること
・宇宙飛行士になるための条件
・大学で学ぶべき分野とレベル
・佐野教授の研究室の内容
・高原教授の研究室の内容
・大学生活の流れ
・高2の内容の予習・復習計画
・体力づくりの方法
・英語の勉強の進め方
・生活リズムの整え方
書きながら、みのりの表情は少しずつ引き締まっていった。
(……大学受験のための勉強は…もういらないけど…… そのぶん…自分で考えないといけないことが増えたのかも……)
みのりは、ペンを置いて、少しだけ天井を見上げた。
(……あかりさんみたいに…… 自分の力で未来を作れる人になりたい……)
その思いは、昨日の演奏の余韻とはまったく違う、未来に向かうみのりそのものだった。
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